月 - 3 月 17, 2008

私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか


島村英紀 著「私はなぜ逮捕され、そこで何を見たか 」を読了。海底地震学の研究者で元北大教授, 元国立極地研究所所長の著者が2006年2月1日に家宅捜索→任意同行→逮捕されて以来、171日に亘って札幌拘置所に拘置され、執行猶予付き有罪判決を受けるまでの精緻な記録文だ。表題の「なぜ逮捕され」の部分つまり事件の真相についてはほとんど触れておらず、著者のホームページを 参照するよう但し書きがある。
本書は「そこで何を見たか」に紙幅を割いている。容疑者/被疑者としての著者が見た拘置所での生活…食事は健康的で悪くない、3畳の独房も調査船のキャビンに比べれば揺れずエンジン音もしないだけまし、希少な社会との窓であるNHKラジオが低俗に走る空虚、「運動」の時間に見る空の青さ…。不自由な拘置所生活を客観的かつ精緻に記録し、「こんな経験はめったにできないから楽しんでやろう」と前向きに捉える著者の精神力の強さに圧倒される。研究者として解脱の域に達していると言えよう。
著者が逮捕された罪状は北海道大学から告発された「詐欺罪」。著者が北大教授だったときにノルウェーのベルゲン大学と共同研究した際の研究費が著者の口座に振り込まれたことで、北大が著者を「業務上横領」で告訴 したことが事件の発端だ。著書によると、北大が外国から研究費を外貨で受け取る窓口がなかったため、事務から個人の口座で受け取るよう指示されたとのこと。検察は私的流用の証拠を見つけられなかったためか罪状を詐欺罪に変更して立件。裁判の中で、ベルゲン大学の共同研究者が「詐欺に遭ったとは思っていない」と証言しているにもかかわらず、判決は有罪。誰も被害者のいない「犯罪」で有罪になる理不尽さと、筆者の淡泊な筆致と強いコントラストを成して深く印象に残った。
大学に所属する研究者として、これはとても他人事ではない。大学の経理に関する規則は文部科学省の省令に定められており、研究方法の進展に対応しきれていない。「国際化」を謳いながら、外国の研究機関から研究費を受け取ることができない上記の例にも見て取れるし、観測装置を外国に持っていって共同研究するときの手続きの煩雑さは身をもって経験している。規則に何も定められていないことを研究者が自腹やリスクを背負う必要も間々ある。このような場合、規則に定めのない処理をすることが問題とされるのだ。
誰も思いつかない発想で知的世界を切り拓こうとする研究者ほど、日本で研究することは危険ということになる。本書は表向きそのような主張はしないが、著者のように立派な研究をしていても逮捕される事実を見て、怖くなった。

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日 - 3 月 9, 2008

映画評:「チェスト!」


鹿児島に実在する清水小学校(映画の中では清水原小学校)を舞台にした物語「チェスト!」 を鑑賞。
正義感あふれる人気者の小学6年生吉川隼人は、カナヅチという人に言えないコンプレックスを抱えるなか、学校行事の錦江湾横断遠泳 (4.2 km) が迫って困る。そこに東京から矢代智明が転校してくる。クラスと歩調を合わせずに遠泳の参加を拒否する智明を不快に思い陰湿な態度をとる同級生たち。しかし、過敏性腸症候群を持ちイジメの対象になっている成松雄太がプールで溺れかけているところを智明が身を挺して助けるところを目撃した隼人は、智明に土下座して泳ぎを教えて欲しいと頼み、雄太の家のプール(露天風呂だけど)や学校プールで泳ぎの練習をするうちに打ち解けてゆく。智明がクラスメートと迎合しないわけや、エリート学級委員の牟田敦美の家庭問題に根ざした心の傷、雄太の意外な芯の強さなどがハプニングを通して露呈していくうちに、クライマックスの遠泳大会でそれぞれの心の問題を止揚させてゆく…。
映画は夏の日差しがまぶしい鹿児島を舞台として画面に明るさがあふれ、随所に小ネタのユーモアを織り込んでいて、見ていて楽しいです。そんな中にもホロリとくるシーンが盛りだくさん。カナヅチの悩みを持ちながらも「和して同ぜず」の精神で仲間の和を広げる隼人、父親が会社から理不尽な仕打ちを受けたことで人間不信のまま鹿児島にやってきた智明、体の弱さからイジメられながらも耐える雄太、母親の愛情に飢渇するなか自分のことしか見えなくなる敦美などの、葛藤を持った子供たちが成長していく様子が、見どころがあります。先生役の松下奈緒が歌う主題歌も耳に残ります。
シリアスな縦糸とユーモアの横糸が織りなす見事な物語…後で調べたら日本映画エンジェル大賞を受賞していた、というのも頷けます。鹿児島では先行上映で、全国上映は4月19日からとのことです。元気になりたい人にお奨め。

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土 - 1 月 26, 2008

映画評:「北辰斜めにさすところ」 


旧制第七高等学校造士館(現鹿児島大学)を舞台とした映画「北辰斜めにさすところ 」を見てきました。タイトルは、七高記念祭歌 の一節です。昭和初期のバンカラ学生群像を語る85歳の上田勝弥(三國連太郎)。かつて野球部のピッチャーとして五高(現熊本大学)七高対抗戦で活躍した上田は、五高七高戦百周年記念試合応援の誘いをなぜか頑なに断る。それは太平洋戦争で学友を失った心の傷ゆえだった。だが、上田の孫が鹿児島大学に入学して野球部員として対抗戦に出ると言い、さらに、かつてバッテリーを組んだ赤木吾郎(土屋嘉男)が病没した際に対抗戦への応援を頼まれたことで、対抗戦の応援に行く決心をし、戦没した学友たちへの詫び罪悪感ともいえない感情と向き合うのだった。
地味な演出ですが、年輩の世代が若い世代に伝えようとする熱い志が伝わってくる映画に仕上がっています。鹿児島大学でも全面的にバックアップ してきて、一昨年から鹿児島大学や市内などでロケをしていてました。受験のシーンは理学部の教室ですし(試験監督役は実際の教員で、受験生は鹿大生)、登山シーンは桜島の溶岩台地で撮影されました。大学内でも「なるべく多くの人に見てもらうよう、ぜひ宣伝してください」と頻繁に言われるので、ここで宣伝しておきます。上映している映画館は少ないですが、東京や鹿児島などの動員数次第だそうですので、ぜひご協力を。 

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日 - 7 月 8, 2007

数学ガール 


結城浩 著「数学ガール 」を読了。著者のwebサイト 内で公開されていた数学にまつわる読み物のうち、「僕」「ミルカさん」「テトラちゃん」の三人の高校生が登場するミルカさんシリーズ を書籍化したものだ。ストーリーはコメディタッチだけど、内容は素数, 振動と回転と複素平面, フィボナッチ数列と母関数, コンボリューション(畳み込み), ζ関数など、数学の面白さ・不思議さが伝わる項目が目白押しだ。本書は、数式をきちんと手抜きせずに記述しているところが素晴らしい。数列におけるコンボリューションが、対応する母関数の世界では積になっているところは興味深い。コンボリューションを信号解析の分野で学んだ私には、コンボリューションのフーリエ変換がフーリエ変換の複素数共役積に対応する、というコンボリューション定理が、数論でも現われるところが驚きであった。また、よくフーリエ級数展開の応用として扱われるバーゼル問題 が、本書でsin xのテイラー展開と因数分解によって示される話の展開が美しかった。
専門書でない数学についての書籍は、数式を入れるほど売上げが落ちると言われているためか、数式を端折ることが多いけど、それでは却って分かりにくく歯痒く感じることが多かった。しかし、本書には数式が手抜きせずに出てきます。それでも増刷されているということは、数式が書かれても売れるということを証明したわけですね。数式に拒否反応を示す人が多いのは、式の意味するところをきちんと伝えていなかったり、式の展開に飛躍があって、付いて行くのが難しいからだろう。翻って本書では、式の意味について「僕」の一人語りや「テトラちゃん」との掛け合いによって、読者が置いてきぼりに陥りそうな箇所をフォローしてくれる。数式の展開も丁寧なので、苦労せずに数式部分も追っていくことができる。数学に熟知し、かつ語り部としても優れている筆者の力量が見事です。遠山啓の「算数の探検 」「数学の広場」シリーズに夢中になった私としては、高校数学以上の領域についての続編を読んだような感覚も感じました。
知的興奮に満ちた数の宇宙を味わいたい人にお奨めです。 

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日 - 7 月 1, 2007

生物と無生物のあいだ 


福岡伸一 著「生物と無生物のあいだ」を読了。好奇心を揺さぶる書で、読み始めて3時間、止まることなく一気に読みつくしてしまった。生物は自己複製をするシステムであるが、複製されて安定に存続するのは原子・分子の配列パターンであって、構成する物質は絶えず入れ替わっている。この、川の流れのように物質が入れ替わって安定を保っている状態を動的平衡 (dynamic equilibrium) といい、これこそが「生きている」ことの本質であって静的に安定な (物質が入れ替わらない) 機械との違いである、と著者は説く。生物とは何か、機械との違いは何か、生きているとはどういうことか、という根源的な問いを縦糸に、著者が取り組んだ研究テーマである細胞膜を通した消化酵素の分泌メカニズムの解明への取り組みを横糸にして織り成す、生物学研究現場の迫力が伝わってきます。
確かに、動的平衡があるからこそ、生命という複雑なシステムが物理的・化学的損傷に耐えて自己修復し、安定に存在できるのでしょう。ただ、この観点で考えると、殆ど代謝をしない胞子や種子や卵の状態をどうとらえるのか、疑問が残りました。また、ウィルスは代謝をしないので生物でないのですが、自己複製し(正確には生物に複製させ)て安定な配列パターンを維持しているわけで、動的平衡が安定に存続するために必須な過程なのだろうか、という生物学素人の疑問もあります。とはいえ、わずか777円と3時間ほどでこれだけ思索に耽ることができるの本書はお得で、物理学の眼で生物というシステムを捉える上で大変に参考になりました。
残念なことは、参考文献のページが無いこと。本書を手がかりにより専門的な知見を得ようとするために、ぜひ根拠となる論文や専門書を紹介してほしかったです。 

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月 - 9 月 25, 2006

ブラックホール天文学入門 


嶺重 慎 著「ブラックホール天文学入門」 を読了。ブラックホールとは何か、から始まって、ブラックホールはなぜ光るのか、降着円盤ってどういうものか、どうしてブラックホールからジェット(高速のプラズマ流)が吹き出すのかなど、現実的な(宇宙に実在する、という意味です)ブラックホールについての最新研究成果までを網羅した極めて内容の濃い書物です。「入門」と謳っているだけに一般向けに書かれていますけど、研究者にとっても現在の研究状況を概観できる点で価値が高く、読者のダイナミックレンジが広いです。世界の第一線で活躍する著者の嶺重さんは理論研究が専門ですけど、観測の分野にも明るく、X線観測や光学観測や電波観測でも活躍されています。本書で観測の成果や観測装置も紹介されているのも首肯けます。近頃は天文教育にも熱心だとか…どうりで専門外の人にも読みやすいソフトな文体ですね。ブラックホールにちょっとでも関心のある全ての人にオススメ。これで1,600円は安いです。 

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土 - 9 月 2, 2006

宇宙の灯台 パルサー 


柴田晋平著「宇宙の灯台 パルサー 」を読了。パルサー研究の第一線に立つ理論天文学者が、超高エネルギー現象のしくみについて一般向けに説明している、知的興奮を呼び起こす書です。
パルサーとは、電波や光やX線やガンマ線を一定のリズムで点滅する天体で、その正体は大質量星が超新星を起こした後にできる中性子星です。灯台のように点滅するのは中性子星の自転によるもので、普通のパルサーで毎秒1回転程度、速いものだと毎秒700回転に達するものもあります。おまけに、超新星の際に磁力線を中性子星に圧縮したため、1兆ガウスもの磁場を持つ強力な磁石です。強力な磁場を高速回転させると、遠心力で粒子が光速近くまで加速され、ガンマ線を生じ、電子−陽電子ペアを生成し、シンクロトロン放射で電波を発生し…といった現象が起こるのです。
このようなしくみを、基本的な物理過程を身近な現象や簡単な実験で例えていて理解を助けてくれるのが嬉しいです。例えば磁石の回転で発電するしくみをネオジム磁石で実験したり、電子のエネルギー分布を国税庁のデータにある日本人の所得分布と比較したり、回転する磁場による加速を公園の回転遊具で説明したりと、社会的な天文学普及にも尽力されている柴田さんならではの工夫がこらされています。
また、パルサーのしくみにはまだよく分かっていないこともあり、いろいろな仮説を試しているところも赤裸々に認めています。定説となっていることだけでなく、いま試行錯誤している内容を俎上にのせることで、瑞々しい研究の進歩が伝わってくることでしょう。急いで書いたためか、誤字や表記の不一致が散見されるのもご愛嬌。行頭が小さな「っ」だったりするのも、校正の時間が十分でなかったからかしら。 

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火 - 11 月 22, 2005

風車の見える丘 


旭爪あかね著「風車の見える丘」(新日本出版)を読了。前作「稲の旋律」の続編…というか、脇役だった小林新を主人公に据えて異なる視点で物語をクロスオーバーさせているので、前作を読んでいなくても物語にすんなり溶け込めると思います。
友人たちと夢を語り合った学生時代を卒業し、環境問題に取り組むという理想に燃えて就いた企業の「研究員」の職。利益追求のため測定データの改竄を求められるという現実に直面する自分と、そんな影の面を恋人のゆかりや友人に見せては弱みになると取り繕う自分とのギャップに悩む。やがて研究員の職も辞し、すれ違いで疎遠になってゆくゆかりを追って農家の手伝いを始めるものの、農業指導員を務めるゆかりから「農作業のアルバイトをそんなことのために利用しないで」と突き放される。それでも晋平の手ほどきを受けながら農家として自立していくうちに、ゆかりや友人たちとの関係を振り返り、競争意識をもって嫉妬したり優越感を感じていたことを自覚する。競争心に向き合うことでより深く理解しあえた彼らは…。
「稲の旋律」では全ての物語を往復書簡の文面で語るという文体を用いた著者だが、本作では常体の平文で綴っていて、さらに表現力を増し成長著しいことが感じられる。旭爪さんの著作は、登場人物がお上品で行儀が良すぎるという気もするけど、実体験に基づいてアレンジした物語でリアリティがあります。理想の自分と現実の自分とのギャップに「いったい自分は何をやっているんだろう」と嘆くことの多い私にとって、今回も期待を裏切らない印象的な一冊でした。 

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火 - 11 月 8, 2005

ユーザーイリュージョン 


Tor Nørretranders著, 柴田裕之訳「ユーザーイリュージョン −意識という幻想」(紀伊國屋書店)を読了。人の意識(consciousness)について追求した大著だ。私達の意識は、世の中のできごとををありのままにとらえているわけではない。人間の感覚器からは毎秒1000万ビットもの情報が脳に送られているが、その大量の情報は無意識によって処理され、意識に上ってくるのはせいぜい毎秒14ビットだという。つまり意識は無意識が作り上げている幻想を見せられているに過ぎないのだ。錯視が起こるのは、眼の光学系が捉えた画像を無意識が情報処理してパターン化するからだし、視野中の盲点に普段は気付かないのも盲点の部分のイメージを無意識が勝手に補間処理してしまうからだ。耳に入ってくる振動(音)から言葉を拾い出すのも無意識の仕業であり、だから雑踏の中でも自分の名前を呼ばれると気付くし、習得していない外国語の歌詞で「空耳」が聞こえたりする。
感覚だけでなく、行動を起こすときにも意識は無意識による幻想の影響を受ける。人が意識して行動を起こすとき、例えば「手でこのボタンを押そう」と思ったときには、脳から手の運動神経に命令が電気信号が伝えられるわけだが、その様子を脳波を測定してみると興味深い事実が浮かび上がるという。実際にボタンを押すという行動が開始するのは、脳内に「準備電位」という電位の増加が現われ始めてから0.8秒も経過した後なのだ。これは、私達の実感と合わない。0.8秒というのは認識できるほどの長い時間だ。私達の行動は、そんなにノロマだろうか?いろいろ測定してみると、準備電位の始まりは意識より0.5秒先立っている、ということが分かってきた。意識する前から行動(の準備)が始まっている!?つまり、実は行動の決断は無意識が行っており、0.5秒してから無意識から意識へと「自発的に決断したかのような」幻想が伝わる、というのである。意識は、無意識の作ったシミュレーションの世界に閉じているのだ。(ちなみに、意識が関与しない反射行動は0.8秒よりずっと短時間に起こります)
この事実には、結構衝撃を受けました。意識が幻想を見ているというのは心理学の入門で習っていたけど、行動まで無意識が司っていて、意識はそれにダマされていたとは。大ヒットしたMatrix という映画ではコンピューターが世の中を支配して人間に幻想を見せているという世界を描いていたけど、無意識が見せる世界はまさにそれだ。仏教の諸法無我ってのもこれかしらん。
本書ではさらに挑発的に、「人類の歴史に意識が誕生したのは3000年前」というジュリアン・ジェインズの学説を引用する。ホメロスによる古代ギリシアの叙事詩「オデュッセイア」に、意識を持たない人間たちが内なる声(無意識)に従って自動人形のように行動する様子が描かれていて、意識が登場し始めた時代の書物だというのだ。うーむ、それならピラミッドは意識を持たない人達によって建造されたのだろうか?この点については何とも同意しかねるが、意識の起源を探るというのは興味深い事柄です。 

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水 - 9 月 28, 2005

恐るべき旅路 


松浦晋也著「恐るべき旅路 」を読了。1998年に打ち上げられ火星をめざした探査機「のぞみ」の、計画段階から開発, 設計, 製造, 試験、そして打ち上げを経て運用…そして死に至るまでの壮絶なドキュメンタリーだ。限られた予算や打ち上げ能力のためギリギリまで身を削った設計。その余裕の無さが度重なる不具合を生み、軌道上での重大なトラブルとなって、火星をめざす探査機の前途に立ちふさがる。最も重大な障害は、地球重力圏を離脱するパワー・スイングバイの時に発生した推薬安全弁のひっかかり。十分な推力を得られなかったため、火星周回軌道への投入が不可能になったかと思われた。しかし研究者たちは諦めずに解決策を模索し、地球スイングバイを2回追加するというアクロバットな軌道を見つけ出して、火星到達可能にしてしまう。だがこれによって火星到達は当初予定より4年延びることになる。その長い旅程の途中で襲いかかる太陽フレア。この打撃によって「のぞみ」は言葉を発しなくなり、送信した呼びかけに「うん」と答えることしかできない体になってしまった。それでも諦めずに復帰に向けてコマンドを送り続ける運用グループ。27万人の名前を刻印したプレートを搭載した「のぞみ」がやがて火星に近付き、周回軌道に投入できる最後の期限が迫る…。
「はるか」の運用をしながら「のぞみ」グループの様子を脇で眺めていた身には、あの運用にはこんな背景があったのか、ということを知ることができて興味深かった。「はるか」も成功したはいえ、次から次へトラブルに見舞われたミッションであり、とても他人事とは思えない。「のぞみ」グループの挑戦に心から賛辞を贈りたい気持ちと共に、日本の宇宙科学の構造的な問題について考えさせられる。一読をお奨めします。
それにしても著者の松浦氏の子細に至る取材力には恐れ入る。宇宙開発に関するルポルタージュを数多く著しているが、その中でも宇宙科学についての理解は深い。建設的な批判によって応援してくれるのが嬉しくなります。
細かいことですが、p.169: 「用の東西」は「洋の東西」でしょう。p.189: M-V-1号機 MUSES-B(はるか)の打ち上げ は1997年2月12日の「午後2時40分」ではなく午後1時50分です。p.268: レンジングは衛星に変調信号を送って帰ってくるまでの往復の時間を計測して距離を調べることです。ドップラー効果で速度を測るのはレンジ・レートと呼びます。p.269: 「記録してあるのは、…探査機本体の状態が記録されている」は、主述が対応していません。その他、読点の打ち方が不適切な文が散見されます。 

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木 - 9 月 1, 2005

「伝わる!」説明術 


梅津信幸著『「伝わる!」説明術」 を読了。人に説明するのが下手な私には興味深い主題だし、この著者の前作 は目からウロコが落ちるお役立ち本だったので、期待して読んだ。「なぜ、あなたの説明は伝わらないのでしょうか。(中略)それは、あなた自身がよくわかっていないからです」という冒頭の命題は鋭い。確かに、他人に教えることができて初めて「理解した」というレベルなのだと思う。本書では、アナロジー(たとえ話)を利用して説明することを徹頭徹尾訴える。説明するには物事の相互関係を抽出して伝えることが肝要であり、相互関係だけを抜き出して物事を身近なものに置き換えたものがアナロジーだからだ、という主張だ。人が物事を理解するときには、必ずアナロジーに変換している、とまで言うのだ。確かにアナロジーは理解の助けになることもあるだろう。しかし、アナロジー万能という主張でよいのだろうか?類推しようのない新概念を伝えるときには、演繹的にゴリゴリと論理を進めるしかないのでは?例えば、「輝度分布とビジビリティとは2次元フーリエ変換の関係にある」というVan Cittert-Zernikeの定理を説明するのに、アナロジーが手助けとなるのだろうか?仮に「電気信号とスペクトルとの関係がフーリエ変換であるのと同様です」なとど例えたら、かえって聞き手が混乱するのが関の山であろう。まあ、そういう限界を知った上で部分的にアナロジーを使うのがいいのでしょうね。本書は「伝わる説明術の決定版」(カバーより)というより、「伝わる説明術:アナロジー編」といったところではないでしょうか。
細かいことですが、p.41 「わからないのは相手の責任です」は、「わからせるのは相手の責任です」とすべきでしょう。pp.73 - 82 触媒を使ってポテンシャルの山を乗り越えやすくするという図は、同じ概念を「トンネルを使う」「山の高さが低くなる」と異なる例えを用いていて、冗長であるばかりか混乱します。五つある似たような図は、一つでいいのでは。p.100 図19「アナロジーを使うことは、ホッケーゲームに似ている」の例えは分かりづらいです。無理なアナロジーの例になってしまっています。 

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木 - 3 月 10, 2005

夜空はなぜ暗い? 


Edward Harrison(著)・長沢 工(訳)「夜空はなぜ暗い? 」(地人書館)を読了。一見当たり前に思えるこの命題、あなたは答えられますか?
「太陽が沈むから」というのは答えとしては不十分。太陽は沈んでも、数えきれないほど多くの星々(その一つ一つは太陽と同じように輝く恒星)が夜空を埋め尽くしたら、全天を太陽が埋め尽くすかのごとく眩しい空になるはず。
「星は遠くにあるから」…というのも説明としては不十分。遠くに行くほど個々の星の光は暗くなるけど、星の数も増えます。星1個あたりの光度は距離の-2乗で減りますが、星の総数は距離の3乗で増えるので、十分に遠くまで見通すと全天を星が埋め尽くしてしまうはず。
この問題は、「オルバースのパラドックス」として、昔からの難題だったのです。解決したのはつい50年ほど前のこと。この本は、解決に至るまでのいろんな人の思考を紹介しては、「それぢゃダメなんだよ」と否定して、最後に納得できる論理に行き着くまでの過程を紹介していて面白いです。
さて、正解はわかりますか?ネタばれを防ぐため、ここには書きません。近いうちに、書評を某雑誌に書きたいと思います。 

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月 - 12 月 27, 2004

理不尽な仕打ちと夜叉 


悪意を持った理不尽な仕打ちを受けたときや、人から理解されず非難されたとき、心に夜叉が忍び込んで反撃の誘惑に駆られそうになる。でも、怒りに我を忘れるのは自分には損失だし利敵行為になるだろう。自分への試練だと受け止め、諦めてこだわりをすてたときに心の解放が得られるのだと思う。
他者を思いやるハト派の社会は、互いの交流が共通の利益に繋がるので、結局自分も幸福を享受できるであろう。逆に、他者への非難や攻撃によって自分の利益を追求するタカ派の社会は、結局足を引っ張りあって損害を被る可能性が高い。タカ派とハト派が混在する場合には、争いによって短期的にはタカ派が勝利を収めるだろうけど、リチャード・ドーキンス著「利己的な遺伝子」 によると両方がほぼ半々で共存するのが安定状態(ESS : Evolutionarily Stable Strategy) だそうだ。でも、ハト派だけの集団とタカ派だけの集団を比較すると、ハト派集団の方が個々の利益が大きい。したがって、「なるべくタカ派との接触を避けるハト派」が最大受益を得られるポリシーなのだろう。
よーするに「逃げるが勝ち」ってことですね。 

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金 - 11 月 19, 2004

無限と連続 


最近読んだ本というわけではないですが、遠山啓の名著「無限と連続 」の紹介です。集合論や群論は数学の基本的な概念なのですが、抽象的で分かりづらいためか、学校教育ではほとんど教えられません。ですが、計算能力を身に付けるより、こちらの方がずっと面白くて好奇心を刺激されますよ。例えば、自然数と整数、どちらが沢山あると思いますか?自然数とは1, 2, 3, … と、1を何回か足してできる数のことで、整数は…, -3, -2, -1, 0, 1, 2, 3, …と、自然数同士のたし算・引き算でできる数のことですね。自然数にはないゼロや負の数が整数にはあるから、整数の方が沢山あると思いますか?でも、カントールの集合論が導く答えは「どちらも同じ」なんです。信じられない!と思う人は、ぜひ読んでみて下さい。「そんなの当たり前」と思った方は、カントールの集合論をどこかでご存知なのでしょうね。カントールの集合論は、有理数(分子と分母が整数になっている分数)の個数も自然数のそれと同じである、と帰結します。さらに、実数は自然数より多い、実数より個数の多い集合がある。無限集合には無限の階層がある…という驚くべき定理が派生します。初めて読んだときは、数理の深淵をのぞき込んだような気がしてクラクラしました。
今日はあまりに集中力を欠いて自己嫌悪に陥る日でして、そんなことをここに書いても楽しくないので、過去のネタを引き出して書き記しました。 

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日 - 11 月 7, 2004

プログラマを笑え! 


藤本裕之著「プログラマを笑え!」(ソーテック社) を読了。まともで合理的な指向と独創的な思考を合わせ持つ著者の洒脱な散文集で、ツボにはまるほど面白いです。「自分の内側から出来してくる日々の疑問をそのままにしない」という心がけに強く共感します。オブジェクト指向のモデルは分かりやすく、既存のオブジェクト指向についてのテキストと違って本質をシンプルに言い表しています。シミュレーションの世界を構築するのがオブジェクト指向プログラミングなのですね。 

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