少子化対策よりミームの繁栄をまとめです。
生物は遺伝子を増やして永く残すための機械であり、ヒトの知性はミームを創造して残す装置である、というのがリチャード・ドーキンスの主張で、私もそれに同意します。ヒトが他の生物と大きく異なるのは文化活動の豊かさであり、それはとりもなおさずミームが主導的な社会ということでもあります。計算機や通信網が猛烈な発展を遂げていることを鑑みれば、ミームの繁栄は今後も続くでしょう。資源の底が見え始めた現代にあっては、省資源でも繁栄できるミームが選択的に残ると予想します。 今年 (2006年) は、日本の人口が減少に転じた年として歴史に残ることでしょう。政府は少子化対策に躍起になっていますが、私はあまり効果がないと思います。江戸時代の人口は初期が3000万人で末期に4000万人と推定されています。鎖国政策を採っていて食糧自給率が100%だった江戸時代が持続可能な水準であり、これを上回る人口は生産技術の向上か食糧輸入で賄うしかありません。食糧輸入は何らかの対価を輸出することでしかできません。資源小国の日本は工業生産によって食糧を輸入し、食糧自給率30%で1億2000万の人口を実現しました。しかし経済がグローバル化してゆくことで、工業製品の生産性は「どの国も同じ」という平衡状態へ向かっていくでしょう。すると、日本の食糧輸入は減少するはずで、従って1億2000万の人口は維持できません。私は、日本の人口は4000万人から6000万人くらいが持続可能な適正水準だと思います。 人口減少によって経済が悪化するとか、社会が維持できなくなるとか、国際競争力が低下するなどと心配する人は多いでしょう。でも、人口が減少しても、私たちがそれを補うだけの文化的価値を産み出すことができれば、つまりより強力なミームを生産できれば、社会活動は衰退でなく発展に向かうことでしょう。日本より人口が少ないのに世界におけるプレゼンスが高い国はたくさんあります。 私は人口の減少は心配しませんが、文化的な活動性が低下するようなことには懸念を抱きます。教育の質が低下し、多くの若者が定職に就けずギリギリの生活をし、誰もが忙しくて文化を創造する暇も無い、なんて風潮が気になります。文化的埋没を避けるには…ミームの繁栄に身を任せ、多様なミームの生産に寄与していくことが大切なのでしょう。それこそが、個体がこの世に生きた証であり、死してなお残るものだと思います。 こうやって、誰が読んで下さるか分からないblogに与太話を書きつづることだって、少しはミームの多様性を増やしているに違いない…なんてオチが自己回帰したところで、このシリーズを締めたいと思います。長々と拙文をお読み下さりありがとうございました。(この項終わり) Posted: 日 - 1月 22, 2006 at 11:25 PM コメントを読む/書く |
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HaloScanサーバーの時計狂いは気付いたら直っていました。米国の夏時間が終わったからかな。(2004.12.13記)
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