遺伝子とミームの対立遺伝子もミームも自己複製子、それぞれが増えて永く残ろうと利己的に作用します。多くの場合、ミームと遺伝子の利害は一致するので、その場合は協力的な関係を築くでしょう。例えばヒトの個体が健康であることは、次世代を産み育てることにも、多くの思想を広めることにも作用します。コミュニケーション能力が高いことは、ミームの伝搬に役立つだけでなく、異性と結ばれる機会を増やすことでしょう。社会を形成して行動するということは、個体の生存や人口の増加に寄与しますし、ミームの集団感染ももたらします。
ところが、遺伝子とミームが対立することもあります。例えば迷信。生贄, 入定ミイラ, 集団自殺, 自爆テロなど、「あの世で救済される」という迷信によって命を絶ってしまう行動であり、そこで遺伝子は途絶えてしまうわけですから、進化論の立場に立てば、そのような性向を持つ遺伝子は淘汰されるはずです。ところが現実には淘汰されない迷信があるわけです。それは、迷信がミームであって水平方向に感染するからです。 国家単位で感染する「戦争」というミームなど、遺伝子を種の単位で滅亡させる危険性を持った、凶悪なミームです。ちなみに蟻などの社会性を持った昆虫も戦争をしますが、遺伝子に最大利益をもたらすように行動しているだけで、ミームによるものではないでしょう。遺伝子を滅ぼす危険を冒しても「意地」とか「メンツ」とか「誇り」などの文化的要素で戦争をするのは、人間だけのようです。 ミームの負の部分だけを取り上げてしまいましたが、ポジティブな面ももちろんあります。寝食を忘れて、絵画や執筆や作曲などの文化的活動に打ち込むという人は、自分の遺伝子の利益を犠牲にして、より価値の高い(増えて永く残るという意味です)ミームの創造に励んでいるわけです。教育に殉じる, 奉仕活動に勤しむ, 山歩きを楽しむ…など、文化的価値の創造はミームを生産していることであり、しばしば遺伝子の利益とは相反します。 そう考えると、遺伝子とミームのどちらが行動を決める際の主導権を握るのか、というのは文化的成熟度と深い関係がありそうですね。それを示す例を一つ紹介しましょう。図は、国民一人当たりのGDP(国内総生産)と、合計特殊出生率とを、国別に表したものです(「男女共同参画会議」資料「女性の労働力率と合計特殊出生率 」から引用)。GDPが高いほど出生率が低いという傾向が見られます。GDPは経済指標でありますが、文化的活動性の指標として用いても悪くはないでしょう。出生率は遺伝子を増やそうという性向を表します。図に見られる反相関は、遺伝子とミームとの対立が表層化したものであり、左上ほど遺伝子優勢、右下ほどミーム優勢と捉えることができます。少子化は、遺伝子による支配からの解放、といっても過言ではないでしょう。(この項続く) Posted: 土 - 10月 22, 2005 at 09:34 PM コメントを読む/書く |
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