日 - 1月 22, 2006

少子化対策よりミームの繁栄を 


まとめです。
生物は遺伝子を増やして永く残すための機械であり、ヒトの知性はミームを創造して残す装置である、というのがリチャード・ドーキンスの主張で、私もそれに同意します。ヒトが他の生物と大きく異なるのは文化活動の豊かさであり、それはとりもなおさずミームが主導的な社会ということでもあります。計算機や通信網が猛烈な発展を遂げていることを鑑みれば、ミームの繁栄は今後も続くでしょう。資源の底が見え始めた現代にあっては、省資源でも繁栄できるミームが選択的に残ると予想します。
今年 (2006年) は、日本の人口が減少に転じた年として歴史に残ることでしょう。政府は少子化対策に躍起になっていますが、私はあまり効果がないと思います。江戸時代の人口は初期が3000万人で末期に4000万人と推定されています。鎖国政策を採っていて食糧自給率が100%だった江戸時代が持続可能な水準であり、これを上回る人口は生産技術の向上か食糧輸入で賄うしかありません。食糧輸入は何らかの対価を輸出することでしかできません。資源小国の日本は工業生産によって食糧を輸入し、食糧自給率30%で1億2000万の人口を実現しました。しかし経済がグローバル化してゆくことで、工業製品の生産性は「どの国も同じ」という平衡状態へ向かっていくでしょう。すると、日本の食糧輸入は減少するはずで、従って1億2000万の人口は維持できません。私は、日本の人口は4000万人から6000万人くらいが持続可能な適正水準だと思います。
人口減少によって経済が悪化するとか、社会が維持できなくなるとか、国際競争力が低下するなどと心配する人は多いでしょう。でも、人口が減少しても、私たちがそれを補うだけの文化的価値を産み出すことができれば、つまりより強力なミームを生産できれば、社会活動は衰退でなく発展に向かうことでしょう。日本より人口が少ないのに世界におけるプレゼンスが高い国はたくさんあります。
私は人口の減少は心配しませんが、文化的な活動性が低下するようなことには懸念を抱きます。教育の質が低下し、多くの若者が定職に就けずギリギリの生活をし、誰もが忙しくて文化を創造する暇も無い、なんて風潮が気になります。文化的埋没を避けるには…ミームの繁栄に身を任せ、多様なミームの生産に寄与していくことが大切なのでしょう。それこそが、個体がこの世に生きた証であり、死してなお残るものだと思います。
こうやって、誰が読んで下さるか分からないblogに与太話を書きつづることだって、少しはミームの多様性を増やしているに違いない…なんてオチが自己回帰したところで、このシリーズを締めたいと思います。長々と拙文をお読み下さりありがとうございました。(この項終わり) 

Posted at 11:25 PM     コメントを読む/書く

金 - 1月 20, 2006

ミーム主導の経済的な世界 


物質やエネルギーといった資源をどれくらい消費するか、という観点で遺伝子とミームを比較してみましょう。
単純な自己複製子として地球に誕生した遺伝子は、自己複製をより有利に安定して行うために、さまざまな資源を使うようになりました。遺伝子自体が核酸という有機物なので増えるには資源を獲得する必要がありますし、活動するためのエネルギーを代謝しなくてはいけません。外界の変化の影響を緩和するために膜を張り、より住みやすい環境を求めて移動する手段も身に付けます。資源獲得の目的で他の生物を捕食するヤツが現われてからはもう大変。喰う・喰われるの苛烈な競争に勝ち残るため、生物は身体を組織化・大型化・高速化を試し、爆発的に多様に進化しました。大型で高速な動物は資源獲得競争に強いですが、その分資源も浪費します。人間はその最たる資源浪費家ですね。食糧生産のために農地を開拓し、肥満するほど摂食し、温度変化を緩和するために冷暖房し、雨風を凌ぐために家を建てるなど、遺伝子の延長された表現型に多大な資源を投入していて、今や地球上の資源が枯渇するほどです。
翻って、ミームはどれほど資源を消費するのでしょうか。人間の文化的な活動も、やはり多大な資源を消費しています。文字媒体である紙やインクや計算機, 音楽媒体のレコードやCD, 絵画や彫刻や建造物などの芸術作品, 流行の服飾やアクセサリー, 移動するための交通手段, 通信手段であるネットワークや携帯電話等々…。現代人がミームのために消費する資源は、遺伝子のためのそれより、きっと多いでしょう。地球上の資源は有限ですから、そうするとミームの繁栄はいつか頭打ちになってしまうのでしょうか。資源を節約しながらミームが繁栄する道はあるのでしょうか。
ミームは思想ですから、それを複製するのはヒトの脳などの情報処理系です。ですから、物質的媒体に保存されたミームも、信号に変換されてから脳などの情報処理系で複製され、新たな物質的媒体に保存される、という過程を経て繁栄します。例えば、文学作品というミームは紙という媒体に記録されており、それをヒトが読むことで視覚神経を伝わる信号に変換され、脳内で情報処理がなされ、新たな執筆活動を生みます。消費される資源のほとんどは印刷媒体であり、脳内の情報処理にはあまり物質やエネルギーを要しません。ですから、ペーパーレスにミームを複製できれば資源を節約できそうです。実際、計算機ネットワークの発達によって、紙媒体の通信(郵便物)は電子媒体のメールへと急速に移行しつつあります。美術や音楽などの芸術も、美術館やコンサートに出かけるだけでなく、デジタル化されたオンライン上の情報で楽しむ機会が増えました。山行記録の載ったサイトを見て、山歩きをしたような気分を味わうことも…。
さらに突き詰めると、ヒトが外界から得る体験というのは五感を通した知覚に還元でき、それは感覚神経が刺激を電気信号に変換して脳に伝えるという物理現象ですから、電極を使って脳に直接信号を送ることで「見てきたような」経験をさせることも可能になるはずです。また、話す, 書く, キーボードを打つなどの運動も、脳が運動神経に信号を送って筋繊維に刺激を与えることで実現するのですから、その信号を電極で受けて機械を操作することも可能になるかもしれません。実際、そのような研究 が行われていて、比較的簡単な動作については実現しているそうです。
映画「マトリックス 」では、計算機が社会を支配して、ヒトは計算機が脳に直接送り込む仮想現実という夢を見ている、という世界が描かれていました。計算機に支配されるのは人間性を否定するイヤなものですね。でも、資源が限られている中でミームが繁栄する、別な言い方をすると多数の人々が高度に文化的な生活をするためには、資源を浪費する物質世界を断ち切って仮想現実に生きるという選択を迫られるのかもしれません。松田卓也さんが「田中角栄的発展か明るい寝たきり生活的省エネ社会か 」というエッセイで分かりやすくまとめています。ミームが遺伝子に打ち勝って主導権を握る世界に、人類は向かっていくのかもしれません。
(次こそ最終回) 

Posted at 11:08 PM     コメントを読む/書く

月 - 12月 12, 2005

ミームの延長された表現型 


生物は遺伝子が増えて残るための機械である、というのがドーキンスの「利己的な遺伝子」説でした。生物の形態や行動が多様なのは、遺伝子が生き残るために様々なデザインを試した結果と言えましょう。例えば、野鳥の雄には美しい姿のものが多いのは何故かを考えてみると、雌は美しい雄を好むので子孫を残すチャンスが多いから、美しい姿を作る遺伝子が世代を経る毎に多くなるわけです。なぜ雌が美しい雄を好むか、それは雌の遺伝子の立場に立ってみれば分かりやすいです。美しい雄が持つ遺伝子と受精できれば、生まれる子は父親に似て美しくなる可能性が高いから、次世代の雌にモテて孫の世代を残す可能性が高いわけです。一方、美しくない雄と交尾してしまったら、せっかくの子供がモテない可能性が高く、孫の世代ができないもしれません。従って、モテる雄と結ばれたいという性向を持つ遺伝子は栄え、モテない雄が好みの趣味悪い遺伝子は絶滅しやすいわけです。モテる雄と結ばれたいという雌の欲求も、雌にモテる雄の美しさも、遺伝子に操られた結果なのですね。このように、遺伝子が個体のデザインを試した結果は「遺伝子の表現型」といえましょう。
遺伝子が多様な表現型を作るのは、個体の体だけに留まらず、周囲の環境にも及びます。例えば蜂の巣も蜂の遺伝子がデザインしたもので、蜂が効率的に繁殖するのに役立ちますから、よい巣をデザインする遺伝子は栄えるわけです。。蜂の巣に限らず、アリ塚・モグラのトンネル・ビーバーのダム・サンゴ礁など、遺伝子が増えて残ろうとして編み出した表現型です。個体の範疇を越え、環境の変化を伴って形作られるこのようなデザインを、「遺伝子の延長された表現型」といいます。山の斜面に植物が根を張り巡らせて土砂崩れを防ぐのも、光合成で酸素を発生して大気の組成を変えてしまったのも、非常に大規模な「表現型」です。
ミームも拡張された表現型を作り出します。例えば宗教というミームは、衣装・儀式・偶像・音楽・建築物など、実に多様な延長された表現型を作ります。人が服を着るのは防寒という生存の目的もありますが、華美な装飾を施すのはミームのなせる技でしょう。スポーツ競技場や、美術館や、コンサートホールなど、趣味や文化のための施設は大抵ミームの延長された表現型です。科学的探求心というミームは、大航海時代に船を建造し、望遠鏡を発明し、飛行機で地球をくまなく飛び回り、揚げ句の果てに探査機を宇宙空間に飛ばすまでに至りました。遺伝子の表現型などでは及ばない、巨大な延長された表現型を、既にミームは獲得したのです。
この先、ミームはどこまで表現型を拡張するのでしょうか。きっと、銀河系全体に広がるのも時間の問題なのでしょう。
(あと2回くらいかな?) 

Posted at 11:30 PM     コメントを読む/書く

土 - 12月 10, 2005

ウィルス複製機としての私たち 


生物は遺伝子を増やして残す機能を持った機械であり、人はそれに加えてミームも増やして残す、ということをこれまで述べてきました。生物が増やす遺伝子は自分の遺伝子だけではありません。ウィルスの遺伝子も増やします。
ウィルスはタンパク質のカプセルに遺伝子を包んだ粒子です。生物は自己増殖するけど、ウィルスは自己増殖できないので生物ではありません。生物の細胞が、入り込んできたウィルスを複製してしまうことで、ウィルスは増えるのです。コンピューターの電源を落としていればコンピューターウィルスが増えることがないのと同様に、生物が生命活動を停止していたらウィルスも増えることはありません。細胞はウィルスを多数生産する際に資源を使うのでダメージを受けます。これがウィルスによる病気なのです。ウィルスは生物ではないので、代謝もしないし、「生」も「死」もありません。遺伝情報を運ぶメディアです。ウィルスの遺伝子も複製時にある確率でエラーが起こり、より優れたウィルスに進化することがあります。ここでいう「優れた」というのは、これまでと同様に、増えて永く残る可能性が高いという意味です。感染力の強いウィルスほど優れているわけですね。
こうしてみると、ミームとウィルスは実に似通っています。ミームもウィルスもそれ自身では増えることはできず、生物に複製してもらうことで増えて残るわけです。生物が感染によってダメージを被ることもあればダメージを受けることもある、ということもミームとウィルスに共通する事柄です。ウィルスが生物に利益をもたらすことがある、というのは意外に思われるかもしれません。でも、遺伝子治療では、組み換えた遺伝子をバクテリオファージというウィルスの一種に運ばせて生体細胞まで届けます。人為的にウィルスに感染させることで、細胞の欠陥遺伝子を補おう、というのが遺伝子治療です。これが人為的にでなく自然にも起こっていたとしたら、ウィルスによって外来遺伝子が生物にもたらされて後天的な進化が起こる…というのがウィルス進化論という仮説です。
ウィルスによって遺伝子が書き換えられ、ミームによって思想が影響を受ける。人間とは個体のレベルで見ると流動的で頼りない、諸行無常な存在なのですね。
(まだ続きます) 

Posted at 11:26 PM     コメントを読む/書く

木 - 11月 10, 2005

死の後に残るもの 


人の誕生日は法的にはお母さんのお腹から出てきた日ですが、生物としての発生は受精卵として誕生した時点と言えましょう。この初期状態から成長して死に至るまでの過程で、物質・遺伝子・ミームがどのように変化していくかを見ることで、人生というものを俯瞰してみましょう。

■ 物質
受精卵の質量は1.5µg。ミジンコよりも軽いです。それが出産の時期には3kgにまで、20億倍にも増加します。さらに成長すると5 - 60 kgほどに達します。人間の体を構成する物質はすべて周囲の環境から取り入れられ、常に別の原子と入れ替わっています。典型的に20日ほど経過すると、ほとんどの原子は入れ替わってしまいます。「ヒトの体は絶えずして、しかもまたもとの物質にあらず」というわけです。人のアイデンティティは物質そのものではなく、その配列のパターンである、ということがわかります。
死ぬと、人体を構成していた物質は周囲の環境に還ります。人生を通して関与した物質は、原子が集まったり配列を作ったり離散したりというのを繰り返すだけです。地球全体としての原子の量は、人生を通して結局変わりません。化学組成は変化するでしょうけど、それは原子の配列を変えたということに過ぎないのです。私が世に誕生しようがしまいが、物質的には特に違いはないわけで、この意味では人生なんて空しいものかもしれません。

■ 遺伝子
受精した時点で、父親と母親それぞれからランダムに半分ずつ選ばれた遺伝子が組み合わさって、新しい遺伝子配列が誕生します。新しく誕生した遺伝子配列は、たぶん史上初の組み合わせでしょう。また、他の誰の遺伝子配列とも異なるものです(ただし一卵性双生児を除く。クローンは細胞核の遺伝子配列は同じですが、ミトコンドリアの遺伝子が異なります)。従って、遺伝子の配列は個体のアイデンティティと言えましょう。遺伝子を載せた乗り物である個体は、胎児の時期にすでに生殖細胞(精子あるいは卵子)を減数分裂によって作ります。このときに、半分の遺伝子がランダムに選択されます。やがて個体が成熟して生殖をするときに、この生殖細胞にランダムに選ばれた遺伝子のセットが、次世代に伝えられるわけです。一方、個体を構成する体細胞の遺伝子配列(つまりあなたのアイデンティティ)は、クローンでも作らない限り複製されることはなく、やがて死を迎えます。
遺伝子は次世代に脈々と伝えられますが、遺伝子の配列は一代限りです。子を授かるというのは個体にとっては遺伝子を増やして残す行為であり、遺伝子の立場に立てば自分の複製を増やし、一緒にチームを組むメンバー構成を変え、新しい乗り物を試すことで、永きにわたって栄えるチャンスを得ることです。

■ ミーム
人は記憶と情報伝達の能力において他の種に長じているため、ミームの生産と増殖を効率的に行います。親や周囲の人から受ける教育, 書物やTVや映画などから受ける思想, 信仰, 迷信, 噂話, …。それらをどんどん増やして他者に伝えていく、高性能なミームの媒体です。ミームによる感染はきっと物心がつく前から始まり、その増殖に寄与しはじめることでしょう。文字を習得することでミーム増殖能力は向上します。印刷物の出版や、映画や音楽などの放送や、コンピューターネットワークは、ミームの増殖範囲と速度を一気に高めました。これらの媒体は、ミームの保存や検索にも一役買っています。ミームはこれからもさらに繁栄していくことでしょう。
ミームは個体が死んだ後も残ります。故人は残された人の思い出に残るというのはまさにミームが不滅であることを示していますし、心の中だけでなく様々な媒体に故人のミームは残っていて、人の手によって複製され伝播する機会を待っているわけです。

人の一生は物質的には「何もしない」ゼロサムゲームですが、遺伝子については増やすとともに新しい組み合わせを試していますし、ミームについてはどんどん増やし新しいものを生産します。
人が一生の間に、たとえ子を授からなかったとしても、ミームを残すことができれば、意味のある人生だと胸を張っていいと思います。産まれて間も無く息をひきとる子だって(あるいは水子でさえ)、何らかの感情を周囲の人に残しているはずで、それだってミームです。9月19日の記事 に、「人は死んだら、その精神は幽霊になるわけでも天国に行くわけでも地獄に行くわけでも輪廻するわけでもなく、ただ消滅するだけ。」と書きましたが、人の精神はミームとしてしっかり世に残っているのですね。
人生の目的は、よりよい遺伝子とミームを増やし永く残すこと、に尽きるのではないでしょうか。私がこうしてしょーもないネタをblogに書いていることだって、ミームを生産し残している行為だと思えば、何となく意義のあることのような気がしないでもありません。
(まだしつこく続きます。ウィルスと宗教について書きたいことが残っていますので。) 

Posted at 11:32 PM     コメントを読む/書く

土 - 10月 22, 2005

遺伝子とミームの対立 


遺伝子もミームも自己複製子、それぞれが増えて永く残ろうと利己的に作用します。多くの場合、ミームと遺伝子の利害は一致するので、その場合は協力的な関係を築くでしょう。例えばヒトの個体が健康であることは、次世代を産み育てることにも、多くの思想を広めることにも作用します。コミュニケーション能力が高いことは、ミームの伝搬に役立つだけでなく、異性と結ばれる機会を増やすことでしょう。社会を形成して行動するということは、個体の生存や人口の増加に寄与しますし、ミームの集団感染ももたらします。
ところが、遺伝子とミームが対立することもあります。例えば迷信。生贄, 入定ミイラ, 集団自殺, 自爆テロなど、「あの世で救済される」という迷信によって命を絶ってしまう行動であり、そこで遺伝子は途絶えてしまうわけですから、進化論の立場に立てば、そのような性向を持つ遺伝子は淘汰されるはずです。ところが現実には淘汰されない迷信があるわけです。それは、迷信がミームであって水平方向に感染するからです。
国家単位で感染する「戦争」というミームなど、遺伝子を種の単位で滅亡させる危険性を持った、凶悪なミームです。ちなみに蟻などの社会性を持った昆虫も戦争をしますが、遺伝子に最大利益をもたらすように行動しているだけで、ミームによるものではないでしょう。遺伝子を滅ぼす危険を冒しても「意地」とか「メンツ」とか「誇り」などの文化的要素で戦争をするのは、人間だけのようです。

ミームの負の部分だけを取り上げてしまいましたが、ポジティブな面ももちろんあります。寝食を忘れて、絵画や執筆や作曲などの文化的活動に打ち込むという人は、自分の遺伝子の利益を犠牲にして、より価値の高い(増えて永く残るという意味です)ミームの創造に励んでいるわけです。教育に殉じる, 奉仕活動に勤しむ, 山歩きを楽しむ…など、文化的価値の創造はミームを生産していることであり、しばしば遺伝子の利益とは相反します。
そう考えると、遺伝子とミームのどちらが行動を決める際の主導権を握るのか、というのは文化的成熟度と深い関係がありそうですね。それを示す例を一つ紹介しましょう。図は、国民一人当たりのGDP(国内総生産)と、合計特殊出生率とを、国別に表したものです(「男女共同参画会議」資料「女性の労働力率と合計特殊出生率 」から引用)。GDPが高いほど出生率が低いという傾向が見られます。GDPは経済指標でありますが、文化的活動性の指標として用いても悪くはないでしょう。出生率は遺伝子を増やそうという性向を表します。図に見られる反相関は、遺伝子とミームとの対立が表層化したものであり、左上ほど遺伝子優勢、右下ほどミーム優勢と捉えることができます。少子化は、遺伝子による支配からの解放、といっても過言ではないでしょう。(この項続く)



 

Posted at 09:34 PM     コメントを読む/書く

日 - 10月 16, 2005

ミームあれこれ 


記憶と情報伝達の機能を媒体として増殖する自己複製子「ミーム」。そんなミームの特徴的な例をいくつか挙げてみようかと思います。
■文献
書物に記録された思想は、時間と空間を越えて伝わります。古代エジプトのヒエログリフには、「未来に向けて語るべし、それは必ず聞かれん」という記述があるそうです。歴史や文学や科学的発見など、その思想は永遠に引き継がれ、新たな思想を産み出す源になっています。
■芸術
美術, 音楽, 文学など、優れた芸術もミームの用件を満たします。美術作品を鑑賞したり音楽を聴くことで、作者の思想は多くの人に伝わります。いい作品は、繰返し展覧されたり演奏されることで、より深くかつ広範に行き渡ることでしょう。ここで「いい作品」とは、より多く複製を産み、永きに渡って残ることを指します。
■神への信仰
神の存在を客観的に証明するものは示されていないにもかかわらず、人類の90%は神を信じているそうです(日本ではその割合は半数以下と少ないらしい)。つまりほとんどの人は「神を信じる」というミームに感染しています。神を信じる人の集団にあっては、神を信じないでいることは難しい。物心がつく前から信仰を刷り込まれますし、不信心な人は容赦なくバッシングされます。
■将来の夢
スポーツ選手, 総理大臣, パイロット, 看護婦さん, スチュワーデス, 科学者, 音楽家,…。「大きくなったら何になる」という子供の夢は、現役あるいは歴史上の人の活躍を知った影響が強く作用しているでしょう。小柴昌俊さんと田中耕一さんという二人の日本人がノーベル賞を「ダブル受賞」した年には、「科学者になりたい」という子供が急増したそうです。科学者をめざす子が増えれば、将来的に科学のレベルも上がってより多くの成果を産み、さらに科学者になりたいという希望が増える…という正のフィードバックが働くかもしれません。
■愛情と憎しみの連鎖
きっかけが何であれ、AがBに好意を持つことが、BにAへの愛情をもたらし、それがさらにAからBへの愛情を増幅させるという正のフィードバックは、友人や恋人や親子関係などでよく見られることです。憎しみが憎しみを産むというのも同様に正のフィードバックであり、ケンカやテロや戦争といった現象の元になっています。相手を「好き」あるいは「嫌い」というミームが増殖しては相手に感染するという過程を、しばしば目の当たりにします。
■ブログ
私自身もそうですが、他の人のブログを見ることがブログを始める動機となっています。リンクやコメントやトラックバックといった機能で参照が容易なブログは、ミームにとって格好の媒体となっています。

ミームという自己複製子は、遺伝子と比較して際立つ特徴を持っています。
・遺伝子が親から子へ順繰りのバケツリレーであるのに対して、ミームは何千年もの時を飛び越えて世代に関係なく直接に伝わります。時間の連続性は必要ではありません。従って、絶滅の危険性が少ないです。
・遺伝子が垂直遺伝(親から子へ、という一方通行)であるのに対して、ミームは水平遺伝します。全世界的に飛散することもあります。もっとも、遺伝子もウィルスによって水平遺伝することが分かってきたので、ミームだけの特徴とは言えないかもしれませんが…。
・ミームは拡散が速いです。通信手段の発達によって、ミームの繁殖と感染は飛躍的に速くなりました。特にインターネットの発展は革命的にミームの伝達速度を上げました。今や私たちは、地球の裏側にあるミームに瞬時に感染することも珍しくありません。
・遺伝子がたった4種類の塩基配列で記述されるのに対して、ミームの具体的な記述は実に多様です。石版や木簡や紙に書かれた文字だったり、音譜だったり、人の噂だったり、計算機のコードだったりと、様々なバラエティに富みます。それらの多くは、デジタル化して1か0に還元できるのかもしれませんが。

このように、生物の繁殖活動が遺伝子に司られているように、人間の文化活動はミームに支配されている、と至言してもよいでしょう。ミームを育てる環境、つまり記憶と情報伝達の機能は、遺伝子の繁栄に寄与するということで出現しました。しかし、この2つの異なるタイプの自己複製子は、時に対立することもあります。(この項つづく) 

Posted at 11:43 PM     コメントを読む/書く

月 - 10月 10, 2005

ミーム登場 


遺伝子は、より増殖(自己複製)して永続(遺伝)するために、多様な形質を試行錯誤(変異)しては、劣ったものが滅び優れたものが残ってきました(選択)。そのような形質の中に、ニューロン(神経細胞)があります。ニューロンは刺激を知覚し、行動に反映させる機能を持っています。環境の変化に対して適切な反応をすることで、個体はより生存確率が高くなり、遺伝子の繁栄をもたらすでしょう。例えばある種のクラゲは光を検知して明るい方へ移動することによって、体内に共棲する褐中藻の光合成を促し、栄養分を得ることができます。肉食動物は、獲物の匂いや音や姿を感知しする感覚神経と捕捉するための運動神経とが敏捷に連携しています。ニューロンの集合が記憶の機能を獲得した結果、天敵の行動に備えたり、有毒な食物を避けるなど、より遺伝子の繁栄にようになりました。
この、記憶という機能は、遺伝子と異なる自己複製を可能にします。例えば「タマゴテングタケは食べると死ぬ毒キノコである」という知見は、遺伝子では複製されないでしょう。「タマゴテングタケを避ける」という遺伝子なら生存確率が高いでしょうけど、食べて死んだ人の遺伝子はそこで途絶えますからね。ところが記憶によってなら、複製されます。タマゴテングタケを食べて死んでしまった人を傍観し、その知見が記憶され、さらに他者に伝えることで複製されます。この知見を伝えられた人はタマゴテングタケを避けるでしょうから生存確率が高まります。かくして、この知見を持っている個体の割合が集団の中で増えていくわけです。この過程は、「個体が有用な知見を増やしている」と捉えられがちですが、知見の方を主体にして考えてみることもできます。有用な知見は広く伝わり、複製を増やしていきます。無用な知見は廃れます。ときおり記憶は変異し、より優秀な知見が残っていきます(ここで言う「優秀」とはあくまでも、その知見が増殖して永続する可能性が高い、という意味です)。
Dawkinsはこのような自己複製する知見のことを「ミーム」(meme) と名付けました。ミームは平たく言えば思想です。思想というと偉人の高邁な格言と思われるかもしれませんが、それだけでなくもっと広義で普遍的なもので、流行や, 信仰, 芸術, 感情など、みなミームに属する概念です。自己複製し、伝わり、ときどき変異して、選択を受ける…遺伝子が増殖するのとまったく同じ資質を、ミームは備えているのです。(この項続く) 

Posted at 11:08 PM     コメントを読む/書く

日 - 10月 9, 2005

遺伝子による支配 


私たちが生物を見るときには個体に着目しがちですが、その生態は遺伝子によって支配されていることを知っておくと、さらに興味深くなります。個体が「自分の子孫を残そう」として一生を過す、というよりは、遺伝子が複製を増やし永く残るための装置が個体である、という観点です。一つの個体には、多数の遺伝子の集合が乗り合わせています。個体という装置には耐用年数があります。遺伝子は、装置が耐用年数に達する前に、自分を増やす装置を新たに生産して乗り換えなくてはなりません。これが生殖です。新たな乗り物は、それまでの乗り物と全く同じでも良いですが、別な遺伝子との組み合わせによる新デザインを試してみることで「より良い」乗り換えができる可能性があります。前者が単為生殖、後者が有性生殖ですね。
何をもって「良い」乗り換えというか…それは、遺伝子が増えて永く残る可能性が高い、ということに尽きます。遺伝子が繁栄するかどうかは、その遺伝子の性質だけでなく、個体に同乗する遺伝子との組み合わせにも依存します。ダメな遺伝子と一緒になると、生存の確率が減るでしょう。例えば、多くの動物は速く走れるほど生存確率が高くなりますので、高性能の筋組織を作る遺伝子と同乗できた遺伝子は幸運なわけです。また、相性もあります。鋭い牙を作る遺伝子は肉の消化酵素を分泌する遺伝子とは相性がいいでしょうが、地面に根をしっかりと張る遺伝子とは相性が良くないでしょう。ここで言う相性も、一緒になることで増えて永く残る可能性が高くなる、という意味です。
生物は遺伝子の乗り物に過ぎず、その一生は遺伝子が増えるための過程であり、生殖は遺伝子の乗り換えのため、有性生殖は遺伝子の新たな組み合わせを試すための「席替え」である…これが、Richard Dawkinsが "The Selfish Gene " (邦訳:「利己的な遺伝子 」)という著書で分かりやすく述べていることです。
Dawkinsが述べている、遺伝子と並ぶもう一つの自己複製子「ミーム」について、次回に説明します。(この項つづく) 

Posted at 07:00 PM     コメントを読む/書く

木 - 10月 6, 2005

自己複製に一工夫 


自己複製する機能を持つ存在(これを自己複製子と呼びます)が生まれると、その自己複製子は複製できる条件がある限りひたすら指数関数的に増え続けます。これは単に物理的な現象であり、特に「目的」や「意志」などなくても起こることです。
例えば将棋倒し。一枚の駒が次の一枚を倒す、というサイクルでは増えませんが、1枚が2枚を倒すようにセットすれば、そのプロセスは立っている駒がある限り指数関数的に増殖します。原子力発電や原子爆弾の要因である核分裂反応では、ウラン235原子核に中性子が衝突することで3個の中性子と娘核に分裂してエネルギーを発生します。ここで発生した3個の中性子が別のウラン235原子核に衝突してまた核分裂を起こすという連鎖反応を繰返し、反応は爆発的に進みます。レーザー光やメーザー電波が強力なパワーに成長するのは、発生した光子が次の原子(または分子)に作用して同じ波長の光子を生成する、という誘導放射のプロセスを繰り返し、光子の数が指数関数的に増加するからです。このように、自己複製で増殖する現象は生物に限らず見られる現象です。
指数関数的な増殖は、増殖に必要な資源が尽きてくると飽和します。資源が常に一定量供給されるのであればロジスティック曲線 という関数のように頭打ちになります。有限な資源が枯渇すれば、減少して絶滅してしまうでしょう。
ところが、資源の枯渇を防ぐ解決策があります。一般に複製は「完璧」とは限らず、ある確率で複製は「失敗」してコピー元と異なるものができます。複製時のエラーは、自己複製の性能を低下させる方向にはたらくことが多いでしょう。そのようなエラーはまさに失敗で、次世代を産む確率が減るわけですから、世代が進む毎に失敗は消えていきます。一方で、次世代を増やす方向にはたらくエラーも、たまには発生します。上記のレーザー光の例について言えば、微妙な波長のずれが親の光子と消費する原子を棲み分けます。生物の場合であれば、突然変異によって発生した新世代が、親世代とは別の食べ物で生きていける性質を獲得する可能性があります。このようなエラーこそ、資源の枯渇を防ぎ、新たな増殖のフロンティアを開拓する「進化」の要素です。
自己複製によって増殖し、稀に起こる自己複製のエラーによって進化する。このような性質をもった遺伝子という自己複製子は、一度誕生したら滅多なことでは消滅しないでしょう。実際、地球上に生命が誕生してから35億年経過し、環境が激変したにも拘わらず、遺伝子は絶滅せずにますます増殖し多様化しています。種は滅びても、遺伝子は不滅と言っていいほど、したたかでたくましい自己複製子です。(この項続く) 

Posted at 09:16 PM     コメントを読む/書く

水 - 9月 21, 2005

自己複製のパワー 


唐突ですが、月面にある資源を全て採掘せよ、という大計画を命ぜられたら、どうしたら良いでしょうか。月の表面積は約1000万平方キロメートルもあります。一年間に1平方キロメートルを採掘できる高性能なショベルカーを1000台も用意したとしても、1万年もかかってしまいます。そこで一計を案じ、1年間で1平方キロメートルを採掘したらその資源を使って自分のコピーを生産する、という能力を持ったショベルカーを何とかして開発し、それを1台だけ月面に置くのです。すると、1年後には2台, 2年後には4台, 3年後には8台,…, n年後には2n台 (powers of two) と増えてゆき、23年後には約800万台に達します。従って、わずか24年以内に全月面を採掘できているわけです。まさに自己複製のパワーです。
自己複製できるショベルカーなんて現在の技術ではとても無理、と思われるかもしれませんが、私たちの身の回りには自己複製する機械がありふれています。それは生物、より正確にいうと遺伝子です。生物の個体は、親と子が全く同一ではない(ことに有性生殖をする種では)ですが、ゲノムのレベルではほぼ完全な複製が生産されています。媒体や機構が何であろうと、自己複製機能を持った物質が一度できてしまうと、その機能が失われない限り増え続け、世にはびこります。増殖の目的は特になくても構いません。ただ増える機能を持っているが故に増えるわけで、単なる物理現象として理解できますね。(この項続く) 

Posted at 11:06 PM     コメントを読む/書く

月 - 9月 19, 2005

人間だって機械でしょ 


人間を含めた全ての生物の活動は、物質の相互作用に基づいています。次世代に遺伝情報を伝えるDNA(デオキシリボ核酸)も、DNAの情報を転写して伝えるRNA(リボ核酸)も、生成されて人体を形作るタンパク質もみな化学物質であり、全て物理法則に従って相互作用しているわけです。肉体が物質でできているのはもちろんのこと、精神活動も神経細胞を伝わる電気信号がその媒体であり、化学物質が要素なのです。単純な素過程が階層的・構造的に集合して複雑な生命活動となる、という仕組みは興味深く深遠な課題ですが、ともかく生命活動に関して物理法則を破るような現象はこれまで見つかっておらず、この意味において人間も機械と変わりありません。
「精神というものは物質と遊離した何か特別なものである」と考える人もいるかもしれませんが、しかし、精神が物質の相互作用に基づいているという事実は、アルコールや麻薬などの化学物質を摂取することで容易に確かめられます。
精神活動の媒体となっている物質(通常は肉体)がなくなれば、つまり死んだら、精神活動は終焉します。幽霊というものを信じる人も多いようですが、物質と相互作用しなければ存在は認知できないのですから、幽霊というものがあったとしてもそれは物質に支えられているはずですので、機械に過ぎないわけです。幽霊の存在が客観的に示されればそれは興味深いことですが、残念なことにこれまでその存在が証明された例を知りません。
人は死んだら、その精神は幽霊になるわけでも天国に行くわけでも地獄に行くわけでも輪廻するわけでもなく、ただ消滅するだけ。では、そのような機械が存在することに、目的というものはあるのでしょうか。(この項続く) 

Posted at 10:36 PM     コメントを読む/書く

木 - 9月 15, 2005

人生の目的は遺伝子とミームを残すこと 


科学には「根源的な問い」というものがいくつかあります。「宇宙はいつどのように始まったのか」「宇宙に終わりはあるのか」「物質の起源は何か」「生命はどのように誕生したのか」「地球以外に生命はいるのか」など万人に共通する疑問で、設問自体は単純ですが、科学的に答えるのはなかなか難しい課題です。その中に、「人は何のために生きるのか」というものがあります。この問いは宗教や哲学の問題であって科学ではない、と少し前まで思っていたのですが、リチャード・ドーキンス著「利己的な遺伝子」を読んで以来、科学的なアプローチもできると知りました。「人は死して遺伝子とミーム を残す」というのがこの本で述べられている主張で、私も全面的に同意します。どうしてそう考えるようになったのか、何回かにわたって考察しながら、ドーキンスのミームを拡散することに加担しようかと思います。言及してみたいトピックスは以下のようなものです。
・遺伝子も精神も物質に宿る
・自己複製のパワー
・少子化は遺伝子による支配からの解放
・宗教と伝染病
・マトリックスという経済的な世界
まとまりのない話で、自爆しそうな予感…。 

Posted at 10:57 PM     コメントを読む/書く


©