劒岳

劒岳・立山 山行記録

1997年8月19 - 22日


劒岳・立山は人気の高い山で、室堂まで交通機関があるためとても混雑するのだが、マイナールートを選べば静かな山歩きも可能である。そこで、黒部ダムを基点として長次郎谷から劒岳をめざすことにした。明治40年に陸軍測量部の柴崎芳太郎が三角点設置のためにガイドの宇治長次郎と劒岳を制覇したときのルートである、と新田次郎著「劒岳<点の記>」で読んでから、長次郎雪溪を歩いてみたいと思うようになった。「雪を背負って登り、雪を背負って帰れ」の言葉を胸に刻んで、挑戦してみた。

8月19日 新宿22h30m−(バス)→ 扇沢5h50m

8月20日扇沢7h30m −(トロリーバス)→ 黒部ダム7h50m → 内蔵助出合9h00m → 内蔵助平12h00m → ハシゴ谷乗越14h00m → 真砂沢キャンプ場15h30m

8月21日真砂沢キャンプ場4h50m −(長次郎谷)→ 劔岳山頂10h00m/11h30m → 劔山荘13h30m → 劔沢キャンプ場14h20m

8月22日 劔沢キャンプ場6h00m → 別山7h00m → 真砂岳8h00m → 富士の折立9h00m → 大汝山9h30m → 雄山10h00m → 一の越11h30m → 室堂12h30m −(バス/立山ケーブル/富山地鉄)→ 富山

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第0日(8月19日)

18h00mに職場を出て、食料品・医薬品等を買い揃える。野菜を茹でたり荷物の整理をしているとあっという間に時間が過ぎ、バスの時刻に遅れそうになって焦る。バスは22h00m新宿集合なので21時には自宅を出ないとまずいが、21h30mになってようやく出発。22h00m新宿。早足で都庁地下バス乗り場へ。
アルピコグループの「さわやか信州号」は観光バスタイプの狭い座席で、トイレも飲み物サービスもない。おまけにずっとおしゃべりしている二人組のおやじがうるさく、なかなか眠れない。談合坂サービスエリアの休憩で、今晩の夕食(牛乳とあんパン)と忘れ物の日焼け止めを買う。しばし眠る。
インターチェンジを降りる気配で目が覚める。豊科インターと思ったが、まだ勝沼であった。驚いたことにここからは高速でなく一般道を走っていった。信号で停止するためなかなか眠れない。ひどいバスに乗ったと思った。


第1日(8月20日)

 

下ノ廊下

黒部ダムから下ノ廊下を眺める

バスは5h50mに扇沢到着。雲が多いが降り出す気配はなく、まあまあの天気。トロリーバスの始発は7:30なのでそれまでひたすら待つ。ここでポリタンに水を詰める。次々と観光バスや車が到着して長蛇の列となり、トロリーバスは通勤電車のような混雑であった。7:50に黒部ダム着。
観光客に混じって展望台へ。立山は雲の中だったが、これから歩く下の廊下や黒部別山がよく分かる。関電職員に内蔵助への道を尋ね、ゲートを開けてもらう。いよいよ歩き始めだ。
旧日電歩道の黒部川までの降下は急である。きちんと準備運動をしておくべきであった。10分程で黒部川を渡る橋に着き、ここから見上げる高さ186mの黒部ダムを撮影。放水の飛沫がここまで飛んでくる。下を見て渡るのが怖いほどの急流。黒部川の溪谷を眺めながら左岸を下る。このコースは人もまれで、内蔵助谷出合いまでに一人の中年登山者に抜かれただけだった。途中、比較的大きな沢(滝)にかかる橋を渡り、9h00mに内蔵助出合いに到着。
内蔵助谷は急登の連続で。背丈以上のスイコンバや雪の重みで水平に延びたダケカンバが生い茂る中を歩くので、ザックが至る所で引っ掛かり、とても歩きにくい。でも、この歩く苦労が山に来ていることを実感させてくれ、とても幸せな気分だ。考えてみると、山に来るのは昨年7月の北岳以来だから、もう一年以上の御無沙汰である。

 

黒部ダムの放水

黒部川から見上げたダムの放水

 

内蔵助平から立山方面

内蔵助平から立山方面を望む

内蔵助谷の勾配が緩くなり、二股に別れるころになると内蔵助平が近いことを感じさせる。このあたりは横尾谷を登り詰めて涸沢に近づくあたりのの雰囲気に似ている。ただ、涸沢にはないひどい薮だ。次第に晴れてきて青空が出てきた。内蔵助平の河原で二人の登山者が昼食をとっている。ここで昼食にしてもよいが、もう少し先の広場でチーズフォンデュをつくることにした。時刻もちょうど12時だ。ウグイスの鳴き声がする中での昼食は最高。だいぶ汗をかいたのでシャツがびしょぬれ。少し干しておく。
内蔵助平からは涸れた川底のゴーロの中を歩いてゆく。薮に邪魔されないので快適。次第に勾配がきつくなり、沢から山道になって眺望が広がってきた。歩いてきた内蔵助平が一望でき、カール地形になっているのがよく分かる。その向こうには後立山が雲のすき間から顔をのぞかせている。

 

内蔵助平を見下ろす

内蔵助平を見下ろす

 

ハシゴ谷乗越から見上げた八ツ峰

ハシゴ谷乗越から見上げた八ツ峰

急登を登り詰めてハシゴ谷乗越に着く。展望台に行ってみると、黒部別山が目の前に迫っている。内蔵助平や劔沢も見える。劔沢の向こうは仙人山だ。劔岳の八ツ峰は雲の中で見えなかった。これで、標高1,300mの内蔵助出合から700m以上登り詰めたことになる。尾根筋の道に向かってトラバースすると、八ツ峰の裾野が圧倒的な迫力で迫ってくる。長次郎谷の雪溪も上部がみえ、明日はあそこを登るかと思うと感慨深い。
あとは真砂沢キャンプ場まで下るだけ、と思っていたがここからが長かった。ほとんど垂直に近いんじゃないの、と思わせる尾根筋をまず下る。真砂沢側の斜面を横切った後、再び直降下して劔沢にぶち当たる。この道は少し下り過ぎで、真砂沢キャンプ場へ行くには劔沢を少し登らなければならない。8月も下旬となれば劔沢の雪溪はあちこちで崩落していて、対岸へ渡るのに仮設橋が架けられていた。

 

今晩の宿

今晩の宿

真砂沢キャンプ場に15:30に到着。キャンプ場は空いており、4張ほどのテントがあるだけだった。真砂沢ロッジのテラスでは泊まり客がビールを飲んでいる。ロッジで受付を済ませ、長次郎谷の様子を尋ねると、「お客さんの技術次第ですね」という返事で何の有効な情報にもならない。テントを張り、アルファ米を炊いて食事にする。昼食の残りの野菜をコンソメで炒めたものがおかずだ。ビールを飲むと疲労のため眠くなってきたので、寝袋に潜り込む。
22h00m頃目が覚めた。月が出て明るい。星も見えている。八ツ峰と劔沢雪溪が月光に照らされて幻想的だ。ポカリスエットを飲み、沢音を聞きながらまた眠りに付く。

 

月明かりの真砂沢

月明かりの真砂沢


第2日(8月21日)

3h30頃に起床。ぼぉーっとしながら夕べのアルファ米を湯煎にかけて暖め、インスタント味噌汁とで朝食をとる。テントを畳んで準備をしているうちに空が明るくなってきた。4h50mに出発。
劔沢を少し登ると雪溪歩きとなった。ここはまだ傾斜も緩く、先に岩場もあるのでまだアイゼンは着けない。あちこちで雪溪の崩落箇所があり、それを避けて道を選ぶ。

 

長次郎谷の取り付き

長次郎谷の取り付き

 

長次郎谷の途中から

長次郎谷の途中から登ってきた雪溪を見下ろす

長次郎谷に入るところでアイゼンを装着。スリップがなくとても快適。ざくざく登って高度を稼ぐ。目指す熊ノ岩、八ツ峰の頭が見えてきた。むちゃくちゃ高いところにあり、あんなところまでいけるのかと不安になる。しかし振り返れば劔沢がはるか下方に見え、いつの間にかこんなに登ったかと自信が湧く。

 

熊ノ岩と長次郎の窓

熊ノ岩と長次郎の窓

雪溪中間地点付近で一人に、熊ノ岩が間近に迫るところでさらに一人に抜かれる。今日長次郎谷を登るのはこの三人だけのようだ。熊ノ岩に着いたところで大休止。雪溪を削ってポカリスエット粉末をかけ、かき氷にして食べる。遠くに見えるのは針ノ木岳か。
熊ノ岩をトラバースすると再び雪溪歩き。ここからの勾配はきつく、6本歯アイゼンではスリップもしばしば。だいぶ体力も消耗し、2,30歩歩いては立ち止まることの繰り返し。劔本峰が迫ってきて、雪溪歩きもあと少しだ。

 

遠くに針ノ木岳が見える

遠くに針ノ木岳が見える

 

雪溪を横切るクレバス

雪溪を横切るクレバス

雪溪左側に幾重もあるシュルンドは上部に行くほど幅が広くなり、ついに雪溪全体が大きなクレバスで途切れてしまった。ここは一端クレバスの底に降り、右側の岩場を登って通過した後に再度雪溪に戻る。
いよいよ雪溪も終わり。アイゼンを外して岩場を登るが、このときにアイゼンを置き忘れてしまったことに後で気づいた。少し登ると長次郎の窓だ。早月尾根と断崖のような池ノ谷が足下に見える。遠く、富山湾を望むことができた。
両手足を使っての岩登りで稜線を登ってゆくと、10h00mについに標高2,998mの劔岳山頂に到着した。疲労感と満足感の融合した複雑な気持ち。小さな一歩ゝでも繰り返すことによって、長次郎雪溪から見上げた頂上に立つことができるようになったのは感慨深い。

 

長次郎の窓から早月尾根方面

長次郎の窓から早月尾根方面。遠く富山湾が見える。

 

劔岳山頂から劔沢

劔岳山頂から劔沢を見下ろす

周囲の山が一望できるのだが、その多くは頂に雲をまとっていて姿をなかなか現さない。この辺で劔岳だけが山頂まで晴れているように見える。それでも鹿島槍や五竜岳が次第に晴れてきた。鹿島槍 - 爺ヶ岳 - 針ノ木の稜線は、おととし歩いたところだ。見下ろすと、今日の宿泊地である劔沢キャンプ場がガスの晴れ間に見える。
山頂は20人ほどの人で混み合っていた。ほとんどの人は別山尾根から来たようで、ほとんど空身に近い。山頂でケーナを吹いている人もいるが、あまり上手くない。ここでサーモンピラフの昼食とする。

 

劔岳山頂から八ツ峰

劔岳山頂から八ツ峰

11h30mに山頂を後にする。岩場を下っていくとカニの横バイだが、足場を確保してゆっくり行けばそれほど怖がるところでもないようだ。岩肌がひんやりと冷たく気持ちいい。横バイを過ぎると長いハシゴ。取り付きまでが、高所恐怖症の人にはつらそう。ハシゴを降りても、鎖場が何箇所か続く。両手両足を使うので脚への負担が少なくて楽だ。しかし下山路のはずなのに、前劔までの登りはずいぶんきつい。槍の穂先に登るルートのようだ。前劔の山頂を越えるとまた鎖場の急降下。それもはんぱな長さではない。1ピッチで山頂から劔沢までいけるかと思ったがそれは甘かった。下りきると武蔵谷の鞍部。ここで目の前を雷鳥が飛んで行き、ハイマツに着陸して隠れてしまった。雷鳥がまた現れるのを期待して、大休止にする。でも残念ながら雷鳥は再び姿を現わさなかった。
一服劔を越え、劔山荘に13h30mに到着。ビールを買い求め一息付く。下りの連続で左足にマメができかかっていると感じたが、靴を脱いでみると大したことなくほっとする。劔沢キャンプ場まではコースタイムでは20分だが、バテバテなのでこの登りはつらい。30分以上かけて到着。ようやくこの日の行程が終わった。

 

劔岳をふりかえって

劔岳をふりかえって

管理小屋で手続きをし、キーホルダーをもらう。幕営場所は、管理小屋の自家発電の騒音を避け、かつ劔岳が望める西端の一角にした。でも劔岳は今はガスの中で見えない。となりが大学の山岳部のようで、騒音が少し心配。ともかく疲れたのでテントの中で一眠り。
17h00m頃目が覚めると、劔岳がガスの中から姿を現している。見る人を圧倒する巨大な容量。劔沢小屋に行ってビールを買い求め、劔岳を眺めながら至福の一杯。今日の行程を思い返してみる。

 

劔沢キャンプ場にて

劔沢キャンプ場がこの日の宿

夕食はキムチスープに餅を入れたキムチ雑煮。こんな簡単なものでも、今日の行程の後ではむちゃくちゃうまい。あっという間に餅4個を平らげてしまった。だんだん夕闇がおとずれ、また眠くなってきたので寝袋に潜り込む。
20h00m頃、劔沢に響き渡る嬌声で目が覚める。劔沢小屋の泊まり客が花火をやって騒いでいるのだ。「ここは観光地なんだなあ」と思う。見上げると天の川がよく見える。空が暗いため、たて座付近の「天の川の飛沫」がくっきりと浮かんでいる。ときどき上がる打ち上げ花火がじゃまだ。「花火なんかどこでもできるけど、星空はここでしか眺められないのに」と思う。目が冴えてしまったので、お湯を沸かして飲料水を作ったり地図で明日の行程を検討したりして過ごす。荷物制限のため暇つぶしの本を持ってこれなかったのは残念。それにしても、今回もってきたローソクランタンは適度な明るさで長持ちするのでスグレモノだ。
風が強くなってきた。テントがばたばたする中で眠りに就く。

第3日(8月22日)

 

モルゲンロートに染まる劔岳

モルゲンロートに染まる劔岳

3h30m頃目が覚める。風が強くガスが流れている。空はうっすらと明るい。モルゲンロートの劔岳を待つが、山頂は雲の中だ。しかし朝日が劔岳東壁を照らした一瞬に、山頂が顔をのぞかせた。逃さずシャッターを切る。
アルファ米と味噌汁で簡単な食事を済ませてうだうだする。風が強いのでテントを畳むのが億劫なのだ。風にテントを飛ばされ、転がるテントを走って追いかけていくグループがあって、滑稽だ。これを教訓に、ペグを最後まで抜き取らずに畳むようにする。テントシートに着いた露や砂を、風にばたつかせて落とす。
6h00mに出発。30分ほどの登りで稜線に出るとガスが濃くなり、視界は10メートル程度になった。7h00mに別山山頂到着。といっても何も見えない。風が当たる右肩が露に濡れている。
真砂岳への稜線は花崗岩が砕けた美しい砂で、歩いていて楽しい。8h00m真砂岳到着。やはりガスで何も見えない。富士の折立への道を間違えて、雷鳥平への道を下ってしまった。一瞬晴れて稜線が見えたので気づき、稜線の道へ戻った。富士の折立へは急な登り。9h00mに到着。空が晴れてきて、雪田の展望台から黒部湖が見える。あそこが出発点だったと思うと感慨深い。爺ヶ岳も見えてきた。
大汝山に9h30m到着。標高3,015mで、今回の山行の最高点だ。山頂の岩に腰掛けて周囲を眺める。後立山の稜線が見えてきて、2年前に歩いた鹿島槍、爺ヶ岳、針ノ木岳が一望できる。おととしは向こうからこの劔・立山連峰を眺めていたのだ。室堂平の景色もときどき見えるようになる。
さらに歩いて10h00mに雄山到着。ここは観光客の格好をした人でにぎわっている。雄山神社社務所にザックを置いて、カメラだけもって山頂を目指す。ここで「拝観料」400円をとられる。山頂の祠には神主さんが座っている。ほとんど雲の無い晴天で、槍ヶ岳が見えた一瞬にシャッターを切った。水晶(黒岳)や赤牛岳も見ることができた。社務所に戻ってビールを買い求め、後立山連峰を見ながら一杯。

 

立山から一瞬見えた槍ヶ岳

立山から一瞬見えた槍ヶ岳

一の越までの下りは急坂。雄山目指して登ってくる観光客の人としょっちゅうすれ違う。中には登りがきつくて泣きだしている子もいる。11:30一の越着。室堂までの道は舗装されていて、観光地であることを実感させる。
12h30m室堂着。おなかが空いたので、最後の食糧であるラーメンを作る。乾燥野菜のジフィーズとふえるワカメちゃんの入ったラーメンで、立山を眺めながら食べるぜいたく。室堂バスターミナルは観光客でごった返していた。
すぐに富山へ降りても仕方ないので、みくりが池温泉へ入浴に行く。みくりが池にはたくさんの観光客がいたが、温泉に入る人はまれなようだ。清潔な浴室には私のほかに二人しかいなかった。その二人も先に上がってしまったので、独り占め状態。窓からは劔岳や地獄谷が見える。浴槽から立ち上げって眺めていたら、窓の外のベランダに干してあった布団をおねえさんが取り込みに来たので、あわてて浴槽につかる。お湯は白濁した単純硫黄泉で、とても気持ちが良い。これで入浴料500円は安い。私が上がるころになって、山岳部風のグループがどかどか入ってきた。彼らより先に入ったのは運が良い。
14h40mの高原バスで美女平に向かう。途中の景色は素晴らしかったのだが、うとうとしてほとんど見ていなかった。美女平から立山ケーブル、さらに富山地鉄で16h50m富山着。
22h30mの夜行バスまで十分時間があるので、居酒屋で時間を潰そうかと思い、市街地を歩く。商店街でおみやげを買ったりしていると、雰囲気がよさそうな「寿司栄」という寿司屋があったので、入ってみる。このお店は当たりだった。お任せで握ってもらい、さらにヒラマサや太刀魚などを頼んで、たらふく食べて3,000円だった。ネタはどれも新鮮でおいしかった。アナゴなど、ウナギのかば焼きのようであった。ただしこのお店はアルコールはいっさい置いていないとのことで、富山の地酒を当てにしていたが外れてしまった。
おなかいっぱいなので、居酒屋に行くのも気が引ける。考えあぐねたが、書店で文庫本を買い求め、市電で富山駅に戻って駅の待合室で本を読んで時間を潰すことにした。
待合室は混んでいたが、本を読んでいると時が経つのを忘れる。隣の席で飲んでいた二人組のおっちゃんが、「あんちゃん、ここなんて書いてあるか分かるケ」とカップ酒のラベルを見せる。読むと、黒部酒造株式会社・富山県黒部市・・・と書いてある。「黒部のお酒ですか」というと、「ほー、やっぱり富山の酒かね。あんちゃんも一杯どうかね」と飲ませてくれた。すっきりした淡麗辛口の酒でうまい。
22h20m頃にバスが3台でやって来た。富山地鉄のバスはアルピコとは違って40人乗り程度とゆったりとしており、椅子も十分リクライニングする。しかも私の隣は空席だったので広々だ。また、ずっと高速道路を走っていたようですこぶる寝心地が良かった。ぐっすり寝て、目が覚めるともう練馬だった。5h30m池袋着。山手線と京王線で帰宅。

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初出 : 2002年6月14日, 最終更新日 : 2003年12月13日

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