はっこうれい

安倍奥 七面山・八紘嶺 山行記録

2004年3月27 - 28日


七面山 (1982m) は身延山に並ぶ信仰の山で、山頂近くには宿坊を備えた寺院があって、修行者や参拝客が訪れる山だ。富士山や南アルプスの眺めがよく、登山道も整備されていて安心できる山だが、標高300m程度の登山口からひたすら1700m近くを登るので結構体力を要する。八紘嶺 (1918m) は白峰山脈から南に派生する稜線にあって、梅ヶ島温泉からは3時間で登頂できる人気の山である。この2峰を結ぶ稜線は、赤石山脈を横目に見ながらの人気のないコースであり、テントを担いで歩いてみた。計画では初日に七面山を通過してインクライン跡に幕営し、翌日八紘嶺を経て山伏まで到達してから新田に降りる予定を立てていたが、予想以上の残雪量に歩くペースが大幅に低下したので希望峰に幕営し、八紘嶺から梅ヶ島温泉にエスケープ(山伏は断念)した。

3月27日 武蔵境−(中央線・身延線)→身延−(山梨タウンコーチバス)→ 七面山登山口8h10m/8h20m → 安住坊10h24m/10h35m → 明浄坊11h25m/11h50m → 奥の院13h45m → 七面山山頂15h36m → 希望峰16h21m
3月28日 希望峰6h05m → 1964m第二三角点7h53m → インクライン跡9h27m → 八紘嶺11h00m/11h20m → 梅ヶ島温泉13h30m

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第1日(3月27日)

ギンギラのザック

テントマットがまぶしいザック

今回の山行は新しく購入したザック、オスプレー・イーサー75のデビュー戦である。銀マットやテントマットをくくりつけた姿は、まるでMLI (Multi-Layer Insulation) に包まれたASTRO-E衛星のようだ。武蔵境発4h43mの中央線始発電車に乗ると、高尾, 大月, 甲府と乗り継いで身延に7h28mに到着できる。身延線特急「ふじかわ2号」の車窓からは東に富士山, 西に白峰三山が大きく見え、南にはこれから登る七面山が見え隠れして、期待感が高まる。7h30m身延駅発奈良田行きのバスには私ともう一人の乗客だけ。その一人も途中で降りてしまったので貸切バスだ。8h10mに七面山登山口を下車。

車窓から七面山

車窓から七面山のナナイタガレが見える

登山届けのポストが見当たらないので、派出所のおまわりさんに提出する。準備体操をしていよいよ歩き出そう。 七面山への登山道は表参道と北参道の二通りがあるが、尾根筋を行く北参道に進む。神通坊の境内から登山口に入るところはやや分かりづらいが、山門前の家で会ったおばあさんに登山口を教えてもらって分かった。登山道に入ると、杉林の中を行くよく整備されたなだらかな斜面でとても歩きやすい。オーバーペースにならないよう、自制しながら登る。何しろ今回の荷物は重い。汲み上げる水が4.2リットル、それに調理済みの中華あんかけやチーズフォンデュ用の茹で野菜をジップロックに詰めて持ってきている。計量をしていないが、これまでの自分の山行で最重量だろう。新しいザックは加重を無理なく腰骨で支えるような設計となっているので、重い荷物でも負担を感じさせない。

神通坊の境内から入山

神通坊の境内から入山

少し行くと「一丁目」と書かれた道標が現れる。その先には「二丁目」の道標。6 - 7分歩く度に現れる。やがて七丁目の休憩所に9h00mに到着。ほぼ等間隔の道標は目安になるのだろうが、いったいゴールは何丁目なのか?遅いペースで歩いているのに35分で七丁目まで到達したことを考えれば、山頂は十丁目でなく40丁目くらいなのだろう。42.195丁目まであると仮定して以後の目安にしよう。

十一丁目の道標

十一丁目の道標

安住坊の栃の木

安住坊に立つ樹齢700年の栃

十一丁目を過ぎたあたりで白く輝く北岳が姿を現すのに励まされる。やがて安住坊の宿坊が見えてくるところでリスが登山道を横切るのを目撃。奥の院までのちょうど半分のところで、十九丁目の標識がある。10h24mに到着。ここに立つ樹齢700年の栃の樹は立派。日蓮上人が手植えたとの伝説があるそうだ。

明浄坊からの富士山

明浄坊から眺める富士山

廿丁目を過ぎる頃から残雪が増えてくる。くるぶしの深さとなると登るのに労力が必要で、だんだんペースダウン。加重を感じさせないザックとはいえ、重量を軽減しているわけではないから、脚の負担は大きいのだ。11h25mに明浄坊に到着する頃にはツボ足状態で結構キツい。 明浄坊の屋根付きの休憩所からは富士山の眺めが素晴らしい。ここで昼食にしよう。七面山は宗教上の聖地で生臭ものが禁じられているので、またもやブロッコリーとアスパラガスとフランスパンのチーズフォンデュである。チーズが許されるのかは不明だが、乳製品は殺生に関係ないので問題ないですよね。

11h50mに明浄坊を出発。登山道には所々にロール型のデブリが見られて面白い。三十丁目付近の栂の大木は見るも無惨に折れている。折れた先の葉がまだ青々としているから、折れたのは最近なのだろう。三十六丁目付近には、「自然記念物 七面山のゴヨウツツジ」という解説の看板がある。内陸部では珍しいそうだ。三十七丁目あたりはマラソンでいえば最も苦しいところ。汗をかかないよう、心拍数が120を越えないようにゆっくりを心がけて登る。そのためコースタイムより1時間以上遅れているが、仕方ない。修行僧の格好をした若い男性が駆け下りてきて、「ご苦労様でーす」と声を掛けてくれる。よく見ると胸に「FS」というロゴがあるのは不思議ですが。北参道で出会ったのはこの修行僧一人だけ。

残雪の参道

残雪の参道とロール型のデブリ

奥の院

奥の院に到着

奥の院に13h45mに到着。ここで四十丁目でした。読経の声が響き渡り、影嚮石(ようごうせき)という大岩が祀られている脇からは富士山が望める。敬慎院までの道は平坦な林道で、雪を避けて轍を歩く。東側の窪地や西側の二ノ池は雪原となっていて美しい。杖をついた参拝客何人かとすれ違う。表参道から登ってきたのだろう、みな軽装である。若い夫婦らしき二人連れから、「奥の院の先に降りる道がありますか」と尋ねられる。私が登ってきた道があるけど、ジーンズにスニーカーという格好では、あの雪道は止めた方がいいですよ、と地図を見せながら説明する。

二ノ池

二ノ池は雪原になっていた

敬慎院に14h07mに到着。ここの宿坊は登山客も宿泊できる、ということを翌日に出会った藤枝からの登山者の方から教わった。山門の手前にある展望台からの富士山の眺めは、大沢崩れが迫力ある。そのうち黒部五郎岳のようになってしまうのではないか。山門は敬慎院の真東にあり、春分と秋分にはご来光の陽が山門を通って敬慎院に注ぐのだという、ということも後で藤枝の方に教わった。

敬慎院

敬慎院

山門前展望台からのパノラマ

山門前展望台からのパノラマ

富士山の大沢崩れ

大沢崩れが痛々しい富士山

敬慎院山門

敬慎院山門

ナナイタガレ

ナナイタガレ。写野に収まらないので7枚合成。

荷揚げ用ケーブルの山頂駅の脇を通って七面山頂に向かう。踏み跡が少なく20 cmくらいの積雪で、かなり労力を使うので歩みがのろい。東側斜面の大崩れ(ナナイタガレ)の展望台があるので行ってみる。すごい!痛々しさを通り越した全く人を寄せ付けない大迫力の崖で、見ている間にも岩雪崩の音が響く。その崖の縁を登る急登が始まる。30 cmくらいの雪でスリップするのでアイゼンを着けていると、中年の軽装の男性に追い抜かれた。道がなだらかになってくると山頂はもうすぐ。さっきの男性が登頂を済ませたらしく引き返してきて、「山頂はそこだよ」と教えてくれる。15h36mに登頂。

山頂はカラマツやコメツガの樹林に囲まれていて、タラの木もたくさん生えている。あまり展望はよくないが、平坦で広々とした山頂である。予定より2時間遅れており、今日中に予定のインクライン跡までたどり着くのは無理だから、ここに幕営するかその先の希望峰まで行くか考えるが、展望のある希望峰まで行ってみよう。

七面山山頂

七面山山頂

希望峰への登り

希望峰への登り

七面山頂から先には踏み跡が全く無い。膝下まで潜るラッセルなので体力を消耗する。下りはまだよいが、平坦な道でもまるで急登のように感じられ、心拍数120なんて無理で息が荒くなる。登り坂では10歩進んでは立ち止まって息を整える歩みののろさ。ただ、道には5-10m間隔で赤テープがあって道迷いの心配無用なのが心強い。途中にキャンプできそうな凹地のサイトがあるが、四ノ池という標識があり、氷結した池なのだとわかる。もういいかげんツラくなってきた16h21mに希望峰に到着。

希望峰山頂の西側は展望が開けていて、赤石山脈の高峰の眺めが素晴らしい。七面山の肩越しの北岳は、この角度では尖ったピラミッドでカッコいい。間ノ岳, 塩見, 悪沢と続く。赤石は笊ヶ岳に隠れて見えない。聖, 光もよく見える。ずっと南には大無間岳、そして山伏だ。東に目を転じると、富士山の方向だけ樹を伐採してあってよく見える。決めた!今夜はここに泊まろう。ちょうど一張り分くらいのスペースがあり、積雪のため水平に整地可能だ。今日は風も殆どないので稜線でも快適だろう。明日、ここから夜明けの山嶺を眺めてみたい。

今晩の宿

今晩の宿

リスの蓄え

リス(?)が木の実を掘り出した跡

テントを設営してアーベントロートを期待しつつ、この先の道を偵察する。リスが蓄えた木の実を掘り出して食べたと見られる跡を発見。雪の深さは30 cmくらいで、体力が回復すれば明日八紘嶺までは行けるだろう。しかし山伏までは無理だと判断して、八紘嶺から梅ヶ島へエスケープすることに決定。

希望峰からのパノラマ

希望峰からのパノラマ

荒川・悪沢岳

荒川・悪沢岳

塩見岳

塩見岳

白峰三山

白峰三山

陽が青薙山の稜線に落ちようとするが、高曇りの雲に隠れてしまい、富士山がアーベントロートに染まらないのは残念。でも、桜色の夕空を背景にした赤石山脈の眺めは素晴らしい。十分に見届けてから、テント内で夕食。調理済み野菜炒め中華あんかけをジップロックに詰めて持ってきたものをフライパンで暖め、薄切りの餅を投入して、柔らかくなったところでアツアツのまま食べる。こんなモノを持ってくるから荷物が重いのだが、美味しい。食後にシナモンティーを堪能して寝袋に潜り込み、すぐに眠りに落ちる。


第2日(3月28日)

23h30m頃に目が覚める。風もなく、あまり寒くはない。テント内の温度は−1.9℃。ペットボトルの水が一部凍っているが、これなら全面氷結には到らないだろう。外に出ると、上弦前の月が聖岳に沈まんとしている幻想的な風景。月明かりに照らされた富士山も神秘的な美しさだ。天頂付近に見える髪座や、西空の蟹座にあるプレセペ星団がきれい。星空を堪能してから寝袋に戻る。

暁の富士

暁の富士

3h30mに起床。サラダスパゲティを茹で、ミネストローネスープをぶち込んだイタリア風ラーメンの朝食を摂る。薄明の中テントを畳む。朝焼けを背景に富士山のシルエットが印象的だ。赤石山脈の蒼い稜線も徐々に浮かび上がってくる。やがて5h40mに富士山の左肩からご来光。言葉も無い美しさ。

富士山の肩からご来光

富士山の肩からご来光

上河内岳

上河内岳

聖岳

聖岳

荒川・悪沢岳

荒川・悪沢岳

朝焼けの赤石山脈

朝焼けの赤石山脈

白峰三山

白峰三山

赤石山脈の山嶺にも陽が射す。ただ、空気の透明度が今ひとつでモルゲンロートの紅はとても淡い。一通り写真を撮って、6h05mに出発。重い食糧を消費したためか、あるいは体力を回復したためか、荷が軽く感じられる。

木漏れ日の中を歩く

木漏れ日の中を歩く

コメツガやシラビソの樹林帯の中、木漏れ日を浴びながら歩く雪道は楽しい。一夜明けて雪が締まっているので、あまりずぼらないし。XCスキーやスノーシューがあれば、もっと楽しく歩けるのだろうな。

雪面に獣の足跡

たぶん熊の足跡

雪面にはたくさんの動物の足跡が交錯する。ウサギのパターンはよく分かる。細い脚で深く潜っているのは鹿だろうか。するとこの大きい丸に指が5本あるのは熊だろうか。指が二本の足跡はカモシカであろう。

カモシカの足跡

カモシカの足跡

第二三角点を通過

第二三角点を通過

1964mの第二三角点を7h53mに通過。コースタイムの1.5倍の時間で、まあこんなペースでいいだろう。この辺りは二重山稜のようなちょっと複雑な地形だが、赤テープがたくさんあるので安心できる。第二三角点からの下りで植生がコメツガから岳樺などに遷移する地点からは展望が開け、赤石岳のお目見えだ。素晴らしい眺めに感動。

赤石岳

赤石岳が見えてきた

カモシカの食事跡

カモシカの食事跡

さらに下ると下笹が増えてくる。カモシカの足跡が増え、木の皮を食べたらしい跡を見つけた。樹林帯から見上げる青空の深さにも感銘を受ける。鳥のさえずりも賑やか。行程を短縮した敗北気分が吹き飛び、この楽しい稜線歩きを時間をかけて味わえる幸せに浸る。

9h27mにインクライン跡に到着。インクライン (incline) とはケーブルカーのような傾斜鉄道のことだろうか、京都の蹴上にあるそれが有名だが、卒塔婆が祀ってある奥に木組みの架台があるだけで、ケーブルカーらしきものは見当たらない。当初はここに泊まる予定だったけど、展望の開けた希望峰に泊まってよかった。

インクライン跡

インクライン跡のスペース

八紘嶺はもうすぐ

八紘嶺はもうすぐ

気温が上がってきて雪が腐り始めた。クラストした最中雪はもはや体重を支えきれずにずぼる。ペースが大幅に落ちる。1800m峰への急登をこなすと肩で息をするようになる。それでも目の前に八紘嶺が迫り、「あと少し、頑張れ」と励まされているようだ。大谷嶺から山伏へと続く稜線も望める。あそこを歩くはずだったのだ…遠い。また今度の課題である。

はるか山伏

はるか彼方の山伏

赤石岳を背景に立つ枯れ木が印象的。1800m峰から一旦コルまで下ってから最後の登りだ。あっ、アイゼンでズボンを引っ掛けて膝上に穴を開けてしまった。足運びがうまく制御できないほど力尽きているようだ。八紘嶺まであとわずかなのに、ずぼる雪に歩みが進まずもどかしい。心臓もバクバク音を立てる。おや、山頂に人影が二つ、私が登るのを見ている。11h00mにようやく登頂。

立派な枯れ木

赤石を背に立つ枯れ木

八紘嶺山頂

八紘嶺山頂

山頂で会った夫婦から、「七面山から来たの?」「雪、結構あったでしょ」「テント?」「どこに泊まったの」「どこに降りるの」と矢継ぎ早に質問されるが、こちらはぜいぜいと息をしている状態で答えが途切れる。荷物を下ろして息を整え、ようやく話をする余裕ができて、いろいろ話を交わす。「山伏まで行きたかったのですけど、雪で遅くなったので梅ヶ島に降ります」と答える。
「どうやって帰るの?」
「バスで静岡に出るんですけど、梅ヶ島の時刻ご存知ですか?」
と尋ねる。新田まで降りる予定だったので新田の時刻表は調べてあったのだが、梅ヶ島の時刻は調べてなかったのだ。
「分からないね。車できたから」
とのこと。「よかったら乗って行く?」とありがたいお言葉。八紘嶺への登りの様子があまりにも悲惨だったので、憐れに思ったのだろうか。「いいんですか、とても助かります」と、恥も外聞もなくお願いする。「じゃ、先行ってるから」と出発してしまった。待たせてしまうと悪いので、山頂からの写真を数枚とると慌てて追いかける。

南嶺を過ぎて日当たりの良い斜面に出ると土が露出している。今日初めて見る土だ。ここでアイゼンを外す。その先も所々積雪があるが、踏み跡をたどるのでとても楽に歩ける。頑張って追い付かなくてはならないが、かといって尻餅でもついて泥で汚れると車に乗せてもらえなくなるだろうと思って慎重に下る。30分ほどしたらようやく追い付いた。ゆっくり歩いて追い付くのを待って下さっていたのだろう。奥さんは私が追い付くのを確認すると、きっとそれがマイペースなのだろう、どんどん先行して見えなくなってしまった。旦那さんはゆっくりと歩いている、というより調子が悪そう。立ち止まって荒く息をついている。「ヨーコさーん!」と奥さんを呼びかけるが返事がない。私も「もしもしー!待ってくださーい」と叫ぶけど、聞こえないようだ。それにしても、奥様を名前にさん付けで呼ぶ旦那さんって、ダンディですね。

七面山から東尾根

七面山から東に延びる尾根

旦那さんの調子が戻ったようで、スピードアップして付いていけなくなってしまった。 富士山や七面山の眺めが素晴らしい富士見台を過ぎると、道は杉の植林の中を行く。やがて林道に到着し、ここでお二人が休憩しているところに追い付く。私もお茶とお菓子を取り出す。お二人は藤枝にお住まいで、4週連続で八紘嶺に登っている達人だということを知る。さらに旦那さんは、アコンカグアやチンボラソなども制覇しているとは、凄いです!

さらに、「温泉に行きませんか」と言われる。温泉にまで連れて行っていただけるとは、ありがたいことです。「新田温泉 黄金の里」に浸かり、湯の中でも旦那さんの山行歴をお聞きできて興味深かった。洗いざらしの下着に着替えてさっぱりする。静岡までの車内でも、山行歴や静岡の山情報の話が弾みました。ありがとうございます。 16h10mに静岡駅に到着し、16h22m発の新幹線で帰路についた。

新田温泉から見上げる八紘嶺

新田温泉から見上げる八紘嶺

反省会
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初出: 2004年4月2日, 最終更新日 : 2004年4月3日

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